令和5年6月度 御報恩御講 住職法話
『教行証御書(きょうぎょうしょうごしょ)』
建治(けんじ)3(1277)年3月21日 聖寿(しょうじゅ)56歳
「今末法(まっぽう)に入っては教(きょう)のみ有って行証(ぎょうしょう)無く在世結縁(けちえん)の者一人も無く、権実(ごんじつ)の二機(にき)悉(ことごと)く失せり。此の時は濁悪(じょくあく)たる当世の逆謗(ぎゃくぼう)の二人(ににん)に、初めて本門の肝心寿量品(じゅりょうほん)の南無妙法蓮華経を以て下種と為す。『是の好(よ)き良薬(ろうやく)を今留(とど)めて此に在(お)く。汝(なんじ)取って服すべし。差(い)えじと憂ふること勿(なか)れ』とは是なり。」(御書1103㌻3行目~1104㌻3行目)
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【背景・対告衆】
本抄は、建治三(1277)年3月21日、日蓮大聖人様御年56歳の時、弟子の三位房日行(さんみぼうにちぎょう)に与えられたお手紙です。
三位房から大聖人様に、公場において他宗と法論を行うことになった報告と、その際の対応について質問がありました。これに対して大聖人様が破折の要点等を詳細に示されたのが本抄です。内容は、はじめに釈尊の仏法について、正法(しょうぼう)・像法(ぞうぼう)・末法(まっぽう)の三時(さんじ)を教行証(きょうぎょうしょう)に基づいて説明され、なかでも本日拝読の箇所では、末法において釈尊の教法(きょうぼう)は無益(むやく)であり、ただ法華経本門寿量品の肝心である南無妙法蓮華経の題目を下種すべきことを明かされています。次に爾前経(にぜんぎょう)は無得道(むとくどう)である旨の文証を挙げて、真言・念仏・律の諸宗及び良観(りょうかん)への破折の仕方を具体的に教えられ、最後に法論の心構えや態度を御指南されて本抄を結ばれています。
【対告衆】
三位房日行(さんみぼうにちぎょう)(?〜1279年)
日蓮大聖人御在世当時の弟子。三位公(さんみこう)、三位殿(さんみどの)とも呼ばれた。下総(現在の千葉県)の出身で、建長七年(1225年)頃に入門し、諸宗の破折や弘経(ぐきょう)において活躍した。『法門申さるべき様の事』『十章抄(じゅうしょうしょう)』等の御書を賜っている。だが一方では、自らの才智を鼻にかけて慢心し、大聖人から与えられた法号を勝手に変更するなどして、叱責を受けていた。日興上人の富士弘教にあたって、その補佐を命ぜられていたが、弘安二年(1279年)頃、竜泉寺(りゅうせんじ)の院主代(いんしゅだい)・行智(ぎょうち)にたぶらかされて退転し、大聖人の一門に敵対。熱原法難(あつわらほうなん)の最中、不可解(ふかかい)な横死(おうし)を遂げた。(法華講員の教学基礎辞典307〜308㌻)
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【御文拝読】
今末法(まっぽう)に入っては教(きょう)のみ有って行証(ぎょうしょう)無く在世結縁(けちえん)の者一人も無く、権実(ごんじつ)の二機(にき)悉(ことごと)く失せり。
〔語句の解説〕
・末法(まっぽう)…末世、末代ともいう。仏(釈尊)の説いた法が減損滅無(げんそんめつむ)するという意味で、釈尊の法の利益(りやく)がすべて失われてしまう時代のこと。(同687㌻)
・教(きょう)のみ有って行証(ぎょうしょう)無く(教行証(きょうぎょうしょう))…教は仏の説いた教法、行は教法によって立てられた修行法、証は教行によって得られる仏果・利益をいう。
・在世(ざいせ)…仏が世にいる時をさす。主に、インド応誕の釈尊の存生中の期間をさして、かくいう。(同278㌻)
・結縁(けちえん)…仏道に入る縁を結ぶこと。仏道に帰依すること。
・権実(ごんじつ)の二機(にき)…権実(ごんじつ)とは、権教(ごんきょう)と実教(じっきょう)のことで、権教(※)によって利益を得る機根と、実教(※)によって利益を得る機根の二種類のこと。
(※)権教(ごんきょう)…権(ごん)とは実に対する語で、仮(か)りという意。釈尊は、衆生を実教(じっきょう)(法華経)に導くための方便(ほうべん)として、四十余年間(しじゅうよねんかん)にわたり、仮りの教えを説いた。(同272㌻)
(※)実教(じっきょう)…真実の教えのこと。権教の対義語。方便を含まない仏の究極・真実の悟り(一念三千(いちねんさんぜん))を説いた教えのことで、『法華経』のことである。(同338㌻)
〔通 釈〕
今、末法の時代に入ってからは(釈尊の)教法のみがあって修行と証果はなく、釈尊在世に結縁の者は一人もいない。権教や実教で成仏する二つの機類は悉くいなくなった。
〔解 釈〕
ここでは、末法時代では釈尊の説かれた教えが無益となったことを示されています。即ち「教(きょう)のみ有って」と釈尊が説かれた教(経)はあっても、それを修行する方法(行)も無くなり、修行できないために功徳(証)も無くなってしまっていると仰せられています。更に「在世(ざいせ)結縁(けちえん)の者一人(いちにん)も無く」と、釈尊在世に縁していた者もおらず、そして「権実(ごんじつ)の二機(にき)悉(ことごと)く失(う)せり」と、釈尊にお会いしたことも無く、教説(きょうせつ)も知らないため、権教も実教の結縁も無いのが末法時代であり、その時代に生きる衆生であると示されています。
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【御文拝読】
此の時は濁悪(じょくあく)たる当世の逆謗(ぎゃくぼう)の二人(ににん)に、初めて本門の肝心寿量品(じゅりょうほん)の南無妙法蓮華経を以て下種と為す。『是の好(よ)き良薬(ろうやく)を今留(とど)めて此に在(お)く。汝(なんじ)取って服すべし。差(い)えじと憂ふること勿(なか)れ』とは是なり。〔語句の解説〕
・濁悪(じょくあく)…人心がけがれ、悪が満ち満ちていること。
・逆謗(ぎゃくぼう)の二人(ににん)…逆とは五逆罪(ごぎゃくざい)(殺父(さつふ)・殺母(さつぼ)・殺阿羅漢(さつあらかん)・出仏身血(しゅつぶっしんけつ)・破和合僧(はわごうそう))をいい、謗(ぼう)とは誹謗正法(ひぼうしょうぼう)をいい、逆謗(ぎゃくぼう)の二人(ににん)とは、①五逆罪を犯した者。②謗法を犯した者。のことをいう。ここでは、末法の衆生を指す。
・下種(げしゅ)…衆生の心田に成仏の種を植えること。
・是(こ)の好(よ)き良薬(ろうやく)〜差(い)えじと憂(うれ)ふること勿(なか)れ…法華経『如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)第十六』に説かれる「良医病子(ろういびょうし)の譬(たと)え(※)」の一文。良医(ろうい)(仏)が、毒を服し本心を失った子(衆生)のために留め置いた良薬(ろうやく)を服すようにすすめ、病が癒えないなどと疑わないよう誡(いまし)めた言葉。
(※)良医病子の譬え(『大白法』令和2年2月16日号)
良医病子の譬えは、法華経『如来寿量品第十六』に説かれ、法華七譬(ほっけしちひ)(法華七喩(ほっけしちゆ))の第七番目に当たります。毎日の勤行で唱える、「譬如良醫(ひにょろい)。智慧聡達(ちえそうだつ)。明練方薬(みょうれんほうやく)。善治衆病(ぜんちしゅうびょう)」から「其父聞子(ごふもんし)。悉已得差(しっちとくさ)。尋便来歸(じんべんらいき)。咸使見之(げんしけんし)」までの部分に当たります。
昔、腕がよくて智慧も勝れた医者(良医)がいて、多くの人々の病気を治していました。その良医には、百人にも及ぶたくさんの子供がいました。ある時、良医が用事で遠い国へ出かけている間に、子供たちが誤って毒薬を飲んでしまいました。子供たちが地面に転げ回って苦しんでいるところに、良医が帰ってきました。父の姿を見た子供たちは喜び、「毒薬を飲んでしまいました。命を助けてください」とお願いしたのです。良医は大良薬を処方し、「この薬は色(いろ)、香(かお)り、味(あじ)わいのすべてが具わっている。これを飲んで苦しみを取り除き、楽になりなさい」と言って子供たちに与えました。一部の子供たちは、毒を飲んでものの、まだ本心(正しい心)を失っていなかったため、すぐに薬を飲んで苦しみを癒やすことができましたが、毒が身心に深く染み渡って本心を失ってしまった子供たちは、全く飲もうとしません。良医は本心を失った子供たちを哀れに思い、方便をもって大良薬を飲ませようとします。「私は年老いて死が近づいている。この大良薬をここに置いておくので、飲みなさい。病気が治らないと嘆いてはいけない。」そう言い残して他国へ出かけ、その後、使いを使わして「良医が死んだ」と伝えさせました。子供たちは「もし、父がいたなら必ず私たちを救ってくれたのに、亡くなってしまった。孤独になり、頼るところもなくなってしまった」と嘆き悲しみました。深く悲しんで、ついに本心に目覚め、大良薬の勝れていることに気がつき、どの子も自ら飲んで病気を治すことができたのです。子供たちが皆、治ったと聞いて、良医は再び子供たちのもとへ帰りました。この話では、仏は良医に、一切衆生が毒を飲んだ子供に譬えられています。この譬えを説いた釈尊は、大衆に「この良医に、嘘をついた罪があるだろうか」と尋ねました。大衆は、「嘘をついた罪はけっしてありません」と答えます。釈尊は、「そうである。私はこの良医と同じように、人々を導くために、実際には入滅していないのに入滅すると方便を説くのであり、これを嘘をついた罪と責める者はいないだろう」と説かれました。日蓮大聖人様は、「諸子(しょし)とは謗法(ほうぼう)なり、飲毒(いんどく)とは弥陀(みだ)・大日等(だいにちとう)の権法(ごんぽう)なり。今日蓮等(いまにちれんら)の類(たぐい)南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)と唱(とな)へ奉(たてまつ)るは毒(どく)を飲(の)まざるなり云云」(御書一七六八㌻)と、御題目を唱えることで幸せになれると仰せです。
〔通 釈〕
この(末法の)時は濁悪である当世の五逆罪と謗法の二人に、初めて本門の肝心である寿量品の南無妙法蓮華経をもって下種するのである。(法華経に)「是の好き良薬を、今留めて此に在く。汝取って服すべし。差えじと憂うること勿れ」とあるのは、このことである。
〔解 釈〕
ここでは、先の御示しを受けて、末法時代には仏を知らない者達ばかりであり、「逆謗(ぎゃくぼう)の二人(ににん)」との謗法を犯す衆生であり、この時代に、これらの衆生に何を持って仏とし信仰・仏道修行に励んでいくかを仰せられいます。
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御妙判を拝して
拝読の御妙判は、三位房が折伏するにあたりその心得と破折等の要点を示された御教示であり、特に末法時代においては釈尊の教法は無益となる旨を始めに示され、ついて末法時代の仏様及び信心とする対象を示された御妙判であります。大聖人様は「初めて本門の肝心寿量品の南無妙法蓮華経を以て下種と為す」と、時来たって初めて三大秘法総在の本門の題目が下種される時であると示され、本門戒壇の大御本尊様を御図顕し、この大御本尊様に帰依信心する時こそ、末法時代の正法正義たる正行であると御教示されています。釈尊の教法が無益となった末法時代に御出現される仏様を介してその良薬(妙法蓮華経)服すよう示された経意と拝考します。
御先師日顯上人は「汝可取服(にょかしゅふく)」の文について「『取(しゅ)』とは意欲(いよく)をもって善事(ぜんじ)を得(え)んとする行為(こうい)であるから信心(しんじん)であり、『服(ふく)』とは口(くち)をもって良薬(ろうやく)を服用(ふくよう)する故(ゆえ)に、妙法(みょうほう)を唱(とな)え行(ぎょう)ずること」(寿量品説法増補版下七〇)と御教示され、末法時代に生きる我々は、本門戒壇の大御本尊様を心の底から正直に信じ、自行化他に亘る本門の題目を唱え続けることが、現代の信心であり、仏道修行であり、そして成仏を得る唯一の方法であります。
そして忘れてはいけないことは、当『教行証御書』とは、先に記したとおり、折伏での心得が示された御書でありますから、我々は単に自分だけがこの尊い仏道修行を成していくのでは無く、他の人と共に異体同心して努めることが大事であり、且つ、この信心をしていない人、知らない人、等にその大意を伝えるべく折伏行に徹することも大事であります。その胸を大聖人様は「一文(いちもん)一(いっ)句(く)なりともかたらせ給(たも)ふべし」(諸法実相抄668㌻)と仰せられています。
御妙判を拝されて各位には、この尊い聖意を改めて胸に刻み、そして今やるべき仏道修行に僧俗一致・異体同心して励行に努めましょう! 以 上
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