令和6年2月3日 節分会 住職法話
『節分』について
厄年は、必ず訪れるものであり正しくその意味を知り、そしてその年(歳)を過ごすことが大事です。またこの厄年は、捉え方によれば、我々が成長できる年(歳)に成ることも可能です。正しい仏様に厄を糾して戴き、厄年こそ成長する年(歳)に成していきましょう!
《厄年(やくどし)》(厄年の前年を前厄とし、後年を後厄ととらえる場合もある)
男性…
(1) 25歳(平成12年・2000年)
(2) 42歳(昭和58年・1983年)
(3) 61歳(昭和39年・1964年)
女性…
(1) 19歳(平成18年・2006年)
(2) 33歳(平成4年・1992年)
(3) 37歳(昭和63年・1988年)
(4) 61歳(昭和39年・1964年)
【日蓮大聖人御指南】(太田左衛門尉(おおたさえもんのじょう)御返事1224㌻)
「厄の年災難を払はん秘法には法華経に過ぎず。たのもしきかな、たのもしきかな」
[意訳]
厄の年(厄年)に災難を払う秘法とは法華経(南無妙法蓮華経)以外にない。太田殿がこの秘法を知り、正しく行うことは誠にもって良いことである。
・厄…そもそも「木の節」が由来とされる。材木に節(ふし)があると加工が困難なことが転じて「災いや苦しみが起こる」としている。
【日蓮大聖人御指南】(日眼女(にちげんにょ)釈迦仏供養事1352㌻)
「やく(厄)と申すは譬へばさい(賽)にはかど(角)、ます(升)にはすみ(角)、人にはつぎふし(関節)、方には四維(よすみ)の如し」
[意訳]
厄とは、例えばサイコロの角・升の角・四方角(東西南北)、人で言えば関節のようなものである。つまり厄とは、人生における年齢的・身体的な節目に当たって起こる様々な障害である。
【日蓮正宗では「福は内」との掛け声をする】
お釈迦様がいらっしゃる時代に、鬼子母神(きしもじん)という五百人(※諸説あり)もの鬼の子供を持つ母鬼がいた。この鬼は性格が狂暴で、更には人間の子供をさらっては食べていた。
ある時、鬼子母神が人の子供をさらい食べていることを聞いたお釈迦様は、その行為を哀れみ、反省し止めさせるために、一つの方便として鬼子母神の子供達を連れ去り隠された。
我が子がいなくなった事を知った鬼子母神は、四方八方を探したが探し出す事ができなかった。その様子をご覧になられたお釈迦様は、「今お前が、我が子が居なくなり寂しく・苦しい心とは、お前が今まで人間の子供をさらい食べてしまったことにより、その子供の母親が寂しく・苦しんだ心と同じである。今お前は人間の母親と同じ気持ちを味わったが、その苦しみが解ったであろうか?」と伝え、更に「もし二度と同じことをしないと誓うのであれば、お前の子供達を帰してやろう」と話された。鬼子母神は深く反省し、「二度としない」と誓ったため、お釈迦様は子供を返されたのである。
その後、鬼子母神は、二度と人間の子をさらうことがなくなり、更にお釈迦様に「『南無妙法蓮華経』と唱える人を守りたい」とお願いし、今では鬼子母神の子・十羅刹女と共に善い神となって南無妙法蓮華経と唱える人を守っている。
円照寺(日蓮正宗)では常々、「南無妙法蓮華経」とだけ唱えるお寺です。故に鬼子母神のような善い鬼(神)が常々我々を守って下さっていますから、「鬼は外」と言って善い鬼にどこかへ行ってほしいと願う掛け声は必要ないのです。
【節分会に当たり心掛けること】
節分会とは、一年の一つの節目の時に当たり、この節目に如何にすべきかを確認する時です。即ち節目こそ正しい仏様・御本尊様に「南無妙法蓮華経」と唱えれば、仏様が我々を幸せに導いて下さいます。また鬼子母神のような善い神(諸天善神)が我々を守って下さいます。厄に恐れることなく、正しい信仰のもとに生きていきましょう!
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