令和6年5月度 御報恩御講「妙心尼御前御返事」

このまんだら(曼荼羅)を身にたも(保)ちぬれば、王を武士のまぼ(護)るがごとく、子ををや(親)のあい(愛)するがごとく、いを(魚)の水をたの(恃)むがごとく、草木(そうもく)のあめ(雨)をねが(願)うがごとく、とり(鳥)の木をたの(恃)むがごとく、一切の仏神等のあつま(集)りまぼ(護)り、昼夜にかげ(影)のごとくまぼ(護)らせ給ふ法にて候。よくよく御信用あるべし。


【通釈】この御本尊を身に持つのであるから、王を武士が守るように、子を親が愛するように、魚が水を頼みとするように、草木が雨を願うように、鳥が木をよりどころとするように、一切の仏神等が集まって(この御本尊を受持する者を)守り、昼夜を問わず影のように寄り添って守護することは間違いない。よくよく信じるべきである。


【拝読のポイント】
■ 自行化他の実践に徹しよう
 本日拝読の御文では、御本尊を受持する者は一切の仏や諸天善神に守護されるという功徳をお示しになっています。
 御法主日如上人猊下は、「諸天善神が現れて、本当に様々な面で救ってくださるし、守ってくださるのです。これは全部、御本尊様のお力です。ただし、その御本尊様のお力は、我々の信力・行力がなければ顕れてきません(中略)しっかりお題目を唱えて、自分自身の幸せを願い、そして多くの人達の幸せを願っていくという信心姿勢が、今、最も大切ではないかと思います」(信行要文五―一二七)と仰せられています。
 大聖人は、『日厳尼御前御返事』に「叶ひ叶はぬは御信心により候べし」(御書一五一九)と仰せられ、拝読の御文には「よくよく御信用あるべし」と教示されています。私達は、こうした御金言を身に体して、一層信心も強盛に、すべての人を救う広宣流布の実現に向かって、自行化他の実践に徹してまいりましょう。
○今為すべきことは折伏
 私達が御本尊への絶対の信心により、生活の中にその功徳を顕わしていくことができるのは、総本山大石寺に本門戒壇の大御本尊が厳護され、大聖人以来の唯授一人の血脈が御歴代上人によって正しく伝持されているからです。
 これに対し、不相伝家である他門日蓮宗では何を本尊とすべきかについて迷い続け、創価学会は「信仰の対象とするのは(中略)創価学会が受持の対象として認定した御本尊」(創価学会教学要綱八二)などと、自らの都合によって信仰の対象となる本尊を変える大謗法を行っています。これらは、大聖人が御在世当時に「諸宗は本尊にまどえり」(開目抄・御書五五四)と指摘された不知恩の姿そのものと言えましょう。


 混乱の度を増す現在の濁悪の世を真に救えるのは、大聖人の正しい教え、大御本尊の功徳しかありません。それだけに、この正法を知る私達の責務は重大です。『立正安国論』の「唯我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡めんのみ」(同二五〇)との御金言のまま、まず自分自身が正義顕揚の折伏に立ち上がる、これが今為すべきことなのです。


■ 日如上人御指南
 御本尊に対する絶対の確信が、日常の生活のなかで困難に出遭った時に、大きくものを言うのであります。これは折伏に当たっても同様であります。御本尊様に対する絶対の確信が、我々の言葉や態度に自然に表れてくるものです。その確信が、相手の心を揺り動かして、入信に至らせるのです。
(信行要文三―一〇七)


□ まとめ
 本日は、御本尊を受持する者を諸仏・諸天が必ず守護するとの御教示を拝しました。困難や苦悩の絶えない世の中ですが、私達は幸いにも、自身を変え、困難を乗り越えられる信心に住しています。どうかこのことに感謝し、本日の御講を機に、より真剣に勤行唱題、折伏に励み、皆で広布前進の歩みを、力強く、朗らかに進めてまいりましょう。また、今月から開催されている法華講講習会にも積極的に参加し、自らの信行の糧といたしましょう。


日蓮正宗 法寿山円照寺(呉市)

広島県呉市にある、日蓮正宗円照寺です。悩みをお持ちの方、幸せを願う方、先祖を心から供養したい、など、様々なご相談に丁寧にお答えします。