令和6年7月度 御報恩御講「妙密上人御消息」

「已今当(いこんとう)の経文を深くまぼ(守)り、一経(いっきょう)の肝心たる題目を我も唱え人にも勧む。麻(あさ)の中の蓬(よもぎ)、墨うてる木の自体は正直ならざれども、自然(じねん)に直(す)ぐなるが如し。経のまゝに唱ふればまが(曲)れる心なし。当(まさ)に知るべし、仏の御心(みこころ)の我等が身に入らせ給(たま)はずば唱へがたきか。」

(平成新編日蓮大聖人御書967㌻12行目~14行目)

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【背景・概要】

 本抄は、建治二(1276)年閏3月5日、日蓮大聖人様が御年55歳の時、身延の地から鎌倉楅谷在住の妙密上人夫妻に与えられた御消息です。妙密上人についての詳細は不明ですが、本文中に「便宜ごとの青鳧五連の御志」(妙密上人御消息969㌻)とあり、度々御供養されていたことがうかがえます。

 内容は、はじめに御供養の謝意を述べられ、次いで日本の仏教伝来の様相、さらに末法に上行菩薩が出現し法華経を弘通することを示されます。さして、法華経の題目を弘める大聖人様御自身のお立場を「日蓮は何れの宗の元祖にもあらず、又末葉にもあらず」(同966㌻)と仰せられています。一方、日本中の人々が大聖人様を憎み、法華経に帰依しない現状を述べられつつ、時が至ればそれらの人々も必ず法華経に帰依するとの末法の本仏の確信を述べられています。最後に、南無妙法蓮華経の正法が弘まるにしたがい、妙密上人が法華経を信じ、大聖人様に御供養を尽くす功徳は、ますます大きくなる旨を示され、本抄を終えられています。

--------------------------------------------------------------------------------------------------【御文拝読】

 已今当(いこんとう)の経文を深くまぼ(守)り、一経(いっきょう)の肝心たる題目を我も唱え人にも勧む。

〔語句の解説〕

・已今当…已説・今説・当説のことで、已は過去、今は現在、当は未来を指す・法華経法師品第十に「而(しか)も此の経の中に於て、法華最も第一なり(中略)我が所説の経典、無量千万億(むりょうせんまんのく)にして、已に説き、今説き、当に説かん。而もその中に於て、此の法華経、最も為(こ)れ難信難解(なんしんなんげ)なり」(法華経三二五)とある。

 「已に説き」とは法華経以前の四十余年の諸経、「今説き」とは法華経の開経である無量義経(むりょうぎきょう)、「当に説かん」とは法華経の後に説かれた涅槃経を指す。法華経はこれら「已今当の三説」に超過し、信じ難く解し難い(難信難解)とされる。

〔通 釈〕

(法華経の)已今当の経文を深く守り、一経の肝心である題目を自分も唱え、人にも勧めている。

〔解 釈〕

 ここでは、「已今当の経文」の経意(きょうい)を守り、「今説」の法華経の肝心である御題目を妙密上人が唱えると共に人へ唱えるよう勧められている旨、示されています。即ち、自らの自行と他への折伏行・化他行を記されています。続く御文では、他の人へ勧める(折伏行・育成行)にあたり、心持ちを示されています。

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【御文拝読】

麻(あさ)の中の蓬(よもぎ)、墨うてる木の自体は正直ならざれども、自然(じねん)に直(す)ぐなるが如し。経のまゝに唱ふればまが(曲)れる心なし。当(まさ)に知るべし、仏の御心(みこころ)の我等が身に入らせ給(たま)はずば唱へがたきか。

〔語句の解説〕

・麻(あさ)の中の蓬(よもぎ)、墨うてる木…曲がりながら生長する蓬が、真っ直ぐに伸びる麻の中に生えると、同じく真っ直ぐ育ち、木に墨線を記すことで真っ直ぐに製材できるということ。これは、環境や規律によって人も成長するとの教訓であり、『荀子(じゅんし)』の勧学等にあるのを大聖人様は本抄で引かれ、曲がった心根(こころね)の者でも仏縁に触れることによって心が正されるとの譬えとして用いられている。

〔通 釈〕

麻の中に生えた蓬や、墨縄で線をつけた木が、それ自体は曲がっていても自然に真っ直ぐになるようなものである。法華経の教え通りに題目を唱えるならば曲がった心がなくなる。まさに、仏の御心が我らの身に入らなかったならば、(題目は)唱え難いと知るべきである。

〔解 釈〕

ここでは前文を受けて、化他行(折伏行・育成行)の際の心持ちを示されています。則ち、心根が曲がった人であっても、例えば曲がりながら成長する蓬が、真っ直ぐ生長する麻の中にあれば真っ直ぐ生長するように、曲がった木材も墨線を打てば真っ直ぐ製材できるように、正しい仏様に縁し、仏道修行に励むことにより、心根も変わってくると仰せられています。

 そして更に、仏様の仰せのままに正直に仏道修行に励む心が無い者は、御題目は唱え難いとも仰せられています。

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【御妙判を拝して】

 拝読の御妙判では妙密上人を通して、(一)自行の際の心持ち。(二)折伏行・育成行の際の心持ち。を説かれています。

(一) 自行の際の心持ちでは、「已今当の経文を深くまぼ(守)り、一経の肝心たる題目」と説かれ、仏様が説かれた教えを正直に拝し、現在の仏様である妙法蓮華経の御本尊様に向かい、南無妙法蓮華経と御題目を唱題することが大事と仰せられています。

(二) 折伏行・育成行の際の心持ちでは、折伏行にせよ、育成行にせよ、相手の心持ちが正しい場合と正しくない場合があり、仮に正しくない場合であっても、正しい仏様である御本尊様に縁(仏縁)することにより、曲がった命を変える功徳を得られる旨を「曲がれる蓬も真っ直ぐな麻と共に居れば真っ直ぐになること、曲がった木材も墨線を打てば真っ直ぐ製材できること」の例えをもって仰せられています。

 更に育成行について、我見を持って仏様の教えを守らず、我が儘(わがまま)に仏道修行を行うものは御題目を唱えることが難しいと、正直な心を持って、正直に仏様の教えを励むことが大事であるとも仰せられています。

 大聖人様は「蔵の財(たから)よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし」(崇峻天皇御書)と、四条金吾に宛てられた御書の中で御教示されています。

 「心の財」を積む方法とは、(一)自分自身の仏道修行。(二)他の人への仏道修行。の自行化他の信心です。(一)(二)に共通することは、正直に御題目を唱えるという事です。七月唱題行が行われています。百五十日間唱題行も行われています。「心の財」を積める絶好のチャンスが今行われているこの時を逃さず、大いに「心の財」を積む仏道修行に練磨しましょう。

 七月十六日は『立正安国論』が奉呈された日です。古来より、「日蓮大聖人様は『立正安国論』にはじまり、『立正安国論』に終わる」と称されるが如く、『立正安国論』が最も大事な御精神が示され、且つ『立正安国論』に示されるが如くの御振舞を大聖人様はなされました。

 『立正安国論』とは「正を立てて国を安んずる」旨が説かれた御書であり、正しい正法・本門戒壇の大御本尊様を人に勧め、折伏し、日本のみならず全世界の人々が幸せな・安らかな国となすよう努める旨が説かれています。

 我ら日蓮大聖人の弟子檀那は、この御精神のままに正直に努めることこそ、御妙判の説かれる正直な仏道修行者であり、そこに真の功徳・大きな功徳を得られるのです。

 この七月十六日の『立正安国論』が奉呈された日を迎え、心新たに折伏行に励行していきましょう。

以上

日蓮正宗 法寿山円照寺(呉市)

広島県呉市にある、日蓮正宗円照寺です。悩みをお持ちの方、幸せを願う方、先祖を心から供養したい、など、様々なご相談に丁寧にお答えします。