令和6年12月度 御報恩御講「三三蔵祈雨事」
令和6年12月度 御報恩御講 拝読御書
三三蔵祈雨事(さんさんぞうきうのこと) 健治元(1275)年6月22日 聖寿54歳
「仏になるみちは善知識にはす(過)ぎず。わがちゑ(智慧)なににかせん。たゞあつ(熱)きつめ(冷)たきばかりの智慧だにも候ならば、善知識たひせち(大切)なり。而るに善知識に値ふ事が第一のかた(難)き事なり。されば仏は善知識に値ふ事をば一眼のかめ(亀)の浮木に入り、梵天よりいと(糸)を下げて大地のはり(針)のめ(目)に入(い)るにたとへ給へり。而るに末代悪世には悪知識は大地微塵よりもおほ(多)く、善知識は爪上の土よりもすくなし。」
(御書873㌻7行目~11行目)
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【背景・概要】
本抄は、健治元(1275)年6月22日、日蓮大聖人様が54歳の時に身延の地から、駿河国富士郡西山(静岡県富士宮市)の西山入道(日興上人の母方の祖父)に対して与えられた御手紙です。別名を『西山殿御返事』と称します。
大聖人様は『三三蔵祈雨事』が著される12日前の(健治元年)6月10日に『撰時抄』を著され西山入道に与えられ、その中で、国土の災難は時に適わぬ諸宗の謗法によるものであると御教示され、特に真言宗の邪義を破折されています。
内容はまず、衆生の成仏は自身の智慧に頼るのではなく、善知識ら基づいて実践することに依ってこそ叶えられる旨を御指南されています。更に末法の今日(こんにち)、頼るべき仏法の中にも正邪があり、正法を知る判断基準として「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」(三三蔵祈雨事・御書874)と御指南され、三証(道理・証文・現証)に照らして正邪が判断できると仰せられています。またその実例として、中国真言宗の善無畏三蔵(さんむいさんぞう)・金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)・不空三蔵との三三蔵(※)が中国・玄宗の時代に雨乞いの祈雨を行ったが、かえって国土を乱す悪果を招いたことを挙げ、真言宗の邪義を破折されています。また妙法弘通には悪口(あっく)・流罪等の法難が伴うが、そのなかにあっても妙法の信心を死身弘法の信心で貫くことの大事を促されています。そして最後に、西山入道が過去世からの宿縁によって大聖人様に帰依し、更に種々に御供養を実践している志を賞賛され、筆を置かれています。
(※ 三三蔵…三蔵とは経蔵・律蔵・論蔵を指し、また三蔵に通じている者を指す)
【御文拝読】
仏になるみちは善知識にはす(過)ぎず。わがちゑ(智慧)なににかせん。たゞあつ(熱)きつめ(冷)たきばかりの智慧だにも候ならば、善知識たひせち(大切)なり。而るに善知識に値ふ事が第一のかた(難)き事なり。されば仏は善知識に値ふ事をば一眼のかめ(亀)の浮木に入り、梵天よりいと(糸)を下げて大地のはり(針)のめ(目)に入(い)るにたとへ給へり。而るに末代悪世には悪知識は大地微塵よりもおほ(多)く、善知識は爪上の土よりもすくなし。
〔語句の解説〕
・善知識…悪知識に対する語で、人を仏道に導き入れる者をいう。
・一眼のかめ(亀)の浮木に入り…法華経『妙荘厳王本事品第二十七』(法華経588)等に説かれる。千年に一度だけ海面に浮上する一眼の亀が、自身の背を温め腹を冷やすために適した穴のある栴檀の浮木に値う難しさを、ここでは善知識に値い難いことに譬えている。
・悪知識…善知識に対する語で、悪法、邪法を説いて、正法を退転させ、悪道に墜とす人をいう。
〔通 釈〕
仏に成る道は善知識に値うことに勝るものはない。自分の智慧がいったい何になろうか。ただ熱いとか冷たいとかを知る智慧があるならば、善知識を求めることが大切である。ところがその善知識に値うことが一番難しいのである。そこで仏は、善知識に値うことの難しさを、一眼の亀が大海で浮木の穴に入ったり、梵天から糸を垂らして大地に置いた針の穴に通すことに譬えている。しかるに末代悪世には、悪知識は大地を微塵に砕いた数よりも多いが、善知識は爪の上に乗る僅かな土よりも少ないのである。
〔解 釈〕
ここでは、末法時代の衆生が成仏するためには善知識に値うことが必要不可欠であるが、出会うことは非常に難しいと一眼の亀等の譬えをもって仰せ、一方悪知識に出値うことが計り知れず多い旨を仰せられています。
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【御妙判を拝して】
拝読の御妙判は、(一)善知識に出会うことが非常に難しい。(二)悪知識に出会うことは非常に簡単。との御教示がされていました。
(一) 値い難き善知識について、天台大師は、(1)外護の善知識(仏道修行を外から支え、守護する人)、(2)教授の善知識(正しい仏法を教え導いてくれる人)、(3)同行の善知識(共に修行に励んでくれる人)、(4)実際実相の善知識(成仏の功徳を与えてくれる法)があると示され、大聖人様は(4)実際実相の善知識とは「所謂南無妙法蓮華経是なり」(御講聞書1837㌻)と文底下種の南無妙法蓮華経であると示されています。
末法時代の衆生は、値い難き善知識たる大御本尊様に親近し、仏道主義用に励行していくところに成仏得道が叶えられていくのです。我々は、宿縁深厚にして値い難き善知識の大御本尊様に値い、信心できていることに深く感謝し、そして成仏が叶えられるよう仏道修行に励行していきましょう。
(二) 「末代悪世には悪知識は大地微塵よりもおほ(多)く」と仰せられるように、末法時代は悪知識たる悪法・邪法が蔓延っています。多くの人は、知らず知らずにその悪知識に出値い、その上に生き、そして知らず知らずに不幸の一途を辿っているのです。更には、それが原因となり自然災害が起こり、更に多くの人が苦しむ悪循環の中にいるのです。残念なことに原理原則は悪知識に縁する人達は知ることができないのです。
(三) 大聖人様は、「善知識と申すは日蓮等の類の事なり」(御講聞書1837㌻)と御教示されています。謗法の中に生きることを知らぬ人々に、善知識・大御本尊様の信心ができる我ら大聖人様の仏弟子・日蓮正宗信仰者が、善知識の信心をしている自覚を持ち、そして悪知識に苦しみ人々に折伏を行じることが大事なのです。またその仏道修行を行じる者こそ、真の善知識の者と言えるのです。この仏道修行に励むとき大事なことを御法主日如上人猊下は「広布への戦いの中で最も大切なことは(中略)講中一結・異体同心の盤石なる体勢を構築して折伏に打って出る」ことであると、僧俗一致・俗々一致・異体同心して行うことが大事であると御教示されています。
(四) 本年・令和6年『折伏前進の年』も残り二十日余りとなりました。少しでもこの御意に努められた方は多くの御仏智を得たことと思います。また円照寺四十周年に向け、励行されたみなさんも大きく御仏智を得たことと思います。その志のもと、残り二十日余りを精一杯に励行して更に御仏智を得て頂きたいと願います。
(五) 明年・令和7年は『活動充実の年』と銘打たれました。活動を更に充実させて励行することが御意と拝します。日如上人は異体同心をする上で必要なことを「一にかかって私ども一人ひとりの大御本尊様に対する絶対の信と妙法広布にかける断固たる決意、そしていかなる障魔も恐れない破邪顕正の強盛なる信心こそ、最も肝要」であると御教示されています。信心とは、誰のためにするのかと言えば、自分自身のためですが、しかし大聖人様の信心とは、自行と化他の信心です。自分と自分以外の人のために仏道修行に励むとき、はじめて本当の功徳・御仏智を大聖人様・御本尊様から賜ることができるのです。その基は、一人ひとりが大御本尊様を強盛に信じ、大聖人様・御法主上人猊下様の御指南に正直に仏道修行に励行していくことです。この仏道修行を活動を充実する年に明年・令和7年は励行する御意なのです。
円照寺の明年の方針は、
(一) 円照寺寺院の恢復への励行
(二) 折伏請願成就への励行
(三) 僧俗一致・俗々一致・異体同心への励行
として励行していきます。各位には、拝読御指南の善知識の信心ができる喜びを持ち、そして善知識を信心する自覚とそれを弘める勇気、更には諦めず・決めつけず、最後までやり切る志を持ち、本年以上に信心に励行するよう大前進していきましょう。
以上
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