令和7年4月度 13日御講 拝読御書
上野殿御返事(異称・竜門御書) 弘安2(1279)年11月6日 聖寿58歳
「願はくは我が弟子等、大願ををこせ。去年去々年のやくびゃう(疫病)に死にし人々のかず(数)にも入らず、又当時蒙古のせ(攻)めにまぬ(免)かるべしともみへず。とにかく死は一定なり。其の時のなげ(歎)きはたうじ(当時)のごとし。をなじくはかり(仮)にも法華経のゆへに命をすてよ。つゆ(露)を大海にあつらへ、ちり(塵)を大地にう(埋)づむとをもへ。」
(御書 1428㌻1行目〜4行目)
【背景・概要】
本抄・『上野殿御返事』は、弘安2(1278)年11月6日、日蓮大聖人様御年58歳の時、身延から富士上野の地頭・南条時光殿に与えられたお手紙です。
冒頭、「竜門の滝」の故事を引用し、仏道修行の難(きび)しさを説かれていることから、別名「竜門御書」とも称されています。
この年(弘安2年)の9月、熱原(あつわら・現在の静岡県富士市)に法難(熱原法難)が惹起し、本抄・『上野殿御返事』御述作のわずか21日前の10月15日、熱原の農民・法華講衆、神四郎・弥五郎・弥六郎の三人が、法華宗(大聖人様の信仰)から改宗(法華宗を捨てて念仏宗へ改める)を迫る時の最高権力者・平左衛門尉頼綱(へいのさえもんのじょうよりつな)ら幕府役人の手により命を奪われました。
他の多くの熱原の法華講衆も大変な迫害を受けましたが、大聖人様の御教導を賜り、法華講衆同士で励まし合い、誰一人として退転する者はいなかったのです。
大聖人様は、入信間もない熱原の農民・法華講衆が身命に及ぶ大難(法難)に遭いながらも、その信仰を貫く姿を機縁として、いよいよ下種仏法の究竟の法体を建立する時の到来を感じられ、弘安2年10月12日、出世の御本懐たる本門戒壇(ほんもんかいだん)の大御本尊を御図顕されたのです。
この熱原法難にあたって南条時光殿は、身分を顧みず身命を賭して熱原法華講衆をかくまい、また日興上人等の僧侶の外護に努めました。大聖人様は本抄・『上野殿御返事』の追伸に「此はあつわら(熱原)の事のありがたさに申す御返事なり」(御書1428㌻)としたためられ、時光殿の多大な功績に感謝の意を表されています。
さらに大聖人は、本抄の宛名で時光殿を「上野賢人(※)」(御書1428㌻)との尊称を贈られるなど、当時まだ二十一歳の時光殿の人柄や篤い信心を称賛すると共に、一層の奮励を期待されています。((※)当初『上野聖人』としたためられたが、一層のを奮励期待して『上野賢人』と書き換えられています)
竜門の滝…中国の黄河中流に、高さ十丈(約三十メートル)にも及ぶ竜門の滝があり、鮒がこの滝を登り切れば竜になるといいます。このため滝のもとには多くの鮒が集まって登ろうと試みます。
ところが、滝の水勢は強く、しかも鮒を狙う漁師や鳥獣が多く構えているため、千万が一も滝を登り切ることのできる鮒はいないのです。
このことから中国では、難関を突破して栄達することの譬えとして「登竜門」という呼称が生まれました。仏道を行ずる私たちにとって、この故事の示す鮒とは私たちのことであり、その行く手を阻む漁師や鳥獣たちは、成仏を阻む障魔の用(はたら)きにほかなりません。
大聖人様は、たとえ仏法を受持しても、成仏の境界(きょうがい)に到達することがいかに難しいかを、この故事をもって示されているのです。(『大白法』平成19年7月1日号抜粋)
【語句の解説】
・大願…大きな願い。仏道を実践する目的。法華弘通すなわち広宣流布。
・去年去々年のやくびゃう(疫病)…建治3(1277)年〜弘安元(1278)年にかけて、日本国中に疫病が流行した。
・蒙古の攻め…蒙古(モンゴル)のチンギスハンによる責め(元寇)のこと。文永11(1274)年に「文永(ぶんねい)の役」、弘安4年には「弘安の役」が起こっている。
・つゆ(露)を大海に〜う(埋)づむとをもへ…総本山第六十七世日顕上人は「小さな露も大きな海に託せばその広大な徳に入る如く(中略)小さな塵も大地にうず(埋)まってその甚大な徳の一分となる如く、法華経の大海、大地に我らの小さい生死を入れて、大いなる仏の功徳となることを思えという意義」(『大日蓮』平成17年5月号)であると御指南されている。
〔通 釈〕
願わくは、我が弟子ら、大願を起こしなさい。去年一昨年の疫病で死んだ人々の数に入らなかったとしても、蒙古の襲来からは免れるとは思えない。とにかく死は定まっていることである。その時の歎きは(法難を受けている)今と同じである。ならば、かりそめにも法華経のために命を捨てなさい。露を大海に入れ、塵を大地に埋めるようなものと思いなさい。
【御妙判を拝して】
拝読の御妙判では、
①いつ何が起こるか判らないが大願を持って仏道修行に励むことが大事である。
②難に遭っても強盛なる信心で乗り越える信心を持つ。
これらを御指南されています。
①の大願について、大聖人様の大願とは、法華弘通すなわち広宣流布であり、広布達成のためには一人ひとりが誓願を立て折伏を実践することです。この大願に励行する時には『最蓮房(さいれんぼう)御返事』に「一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥(たし)かに後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも成就すべきなり」(御書642)と、己れ自身の過去からの罪障消滅が叶い、更には来世には成仏得道との願いも叶えることができると仰せられています。
②の難を強盛なる信心で乗り越えるとは、難に遭っている時こそ、強盛なる信心を振るい起こすべく、唱題に唱題を重ねることが肝要です。熱原法難の最中(さなか)本抄がしたためられ、時光殿に「法華経のゆへに命をすてよ」と大聖人様は激励されましたが、この意義について総本山第六十六世日達上人は「我々のこの凡夫が信心によって仏の世界にはいる(中略)我々のこの煩悩の心をお題目によって仏の大きな心に入れば、本当の仏の大きな心と一つとなる。そこに信心を強くして南無妙法蓮華経と唱えなければならない。これを大聖人様が上野時光殿に、熱原の法難の人の心をたたえて教えられた」(『日達上人全集』2-2-596)と御解釈されています。また大聖人様から血脈をお受けあそばした御開山・第二祖日興上人は「未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ随力弘通を致すべき事」(日興遺誡置文1884㌻)と御遺誡を示されています。
御法主日如上人猊下は、この御遺誡を受けて「(この御遺誡を)心肝に染めて、一生懸命に折伏を行じることが、我々の一生成仏にとって極めて大事なことである(中略)「身命を捨てゝ」というのは、わけもなく命を無駄にするという意味ではなく、我ら人間に与えられた寿命という尊い時間を広布のために無駄なく使っていくということです。つまり、その尊い時間を大事にして折伏を行じていくということであります」(『折伏要文』270㌻)と御指南されています。
我々の人生はどれほどの長さであるのかは不明です。しかしだれもが、満足できた人生を送りたいと願っています。
それを叶えるには大願を持ち、度毎(たびごと)に起こる難に信心を持って乗り越えていくことでそれを得ることができます。その大願を果たすためにも、難を乗り越えためにも、常々に御本尊様に御題目を唱えることが肝要です。
一日という限られた時間の中、時間を割き、御本尊様に我々の穢(けが)れた生命(いのち)を浄化して戴くべく、御題目を唱えることが大願成就の必須となります。この大事を再度胸に刻み直し、大願成就そして成仏得道を得られるよう日々信行に励行していきましょう。
以上
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