御経日(毎月1日) 住職法話 『臨終用心抄⑬』

『臨終用心抄⑬』(総本山第二十六世上人が臨終の大事とその心得えを御指南された書)

 臨終の諸事を頼んでおくこと


【本 文】

臨終の事常に頼み置く可(べ)き事也。


 愚案二八、常に臨終を心に懸くる事肝心也。在家は妻子亦(また)は帰依の僧に能(よ)く云(い)ひ入れて臨終と見れば能(よ)く勧めて給(たま)はれと、出家は弟子等善知識と覚(おぼ)しき人に常に頼み約束して置く可(べ)き也。多くは其の期に及んで其の人(ひと)気(き)よ(弱)はらんと云(い)って死期を用捨(ようしゃ)する事謂(いわ)れざる事也。若(も)しよ(弱)はりて一日二日一時二時早く死にたらば大事と思ふて勧むる者は大善知識なるべし云々。たまたま経を読むも祈祷(きとう)になどと云ひ病人に唱題を勧むるを祈祷にならんと云ふは愚の至り也。


〔語句解説〕

・愚案…京都本満寺十二世一如院日重が著述した『見聞愚案記』のこと。

・用捨…用(もち)いることと捨てること。ここでは「用いるべき時に捨てる」ことをいう。


〔現代語訳〕

 臨終のことを、常々、頼んでおくべきである。

 『見聞愚案記』には「普段から常に臨終のことを心に掛けることが大切である。

 在家の者は、妻子または帰依している僧侶に前もって申し入れて、いざ自身が臨終という時にはきちんと臨終の化儀を勤めてくださいと、また出家の者は、弟子などや善知識とおぼしき人に常に頼んでおき、あらかじめ臨終について約束しておくべきである。

 多くは、いざ臨終の時に及んで、この人は気が弱くなったと言って、死期を勝手に判断することは謂われなきことである。(対して)もし弱ってきているのを見て、一日二日、一刻二刻、早く死ぬようであれば大事と思って、臨終の諸事・作法を勧める人は大いなる善知識である」とある。

 たまたま読経しても、平癒長寿(へいゆちょうじゅ)の祈祷のための読経などと言ったり、病人に唱題を勧めたりするにも、そうした祈祷のためと言うのは愚の至りである。


〔御指南を拝して〕

 日蓮大聖人様は「されば先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし」と御指南です。

 在家の人は、家族と話し合い所属寺院の御住職に相談し、出家の者は、弟子等にしっかりと頼み、約束しておくことが大事と示されています。

 また臨終がせまった時に医者や家族に、その時を間違われないよう、しっかりと臨終の時を見極めて貰えるよう、努めておくことが大事とも示されています。

 また臨終を迎える者に成仏を願う唱題ではなく、単に寿命が願う唱題を勧めることは愚の骨頂であるとも示されています。

 以上の御指南から、我々は、臨終をいつ迎えるか分かりません。迎える前に、元気の『今』の内に臨終の際の準備を進め、そしていざ臨終の時には、迷うことなく大聖人様の元へ旅立てるよう努めておきましょう!

日蓮正宗 法寿山円照寺(呉市)

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