令和7(2025)年4月19日(土) 宗旨建立会(772年目) 住職御法話
宗旨建立会 建長5(1253)年4月28日
教行証御書
「此の法華経の本門の肝心妙法蓮華経は、三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為(せ)り。此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや。但し此の具足の妙戒は一度(ひとたび)持(たも)って後、行者破らんとすれど破れず。是を金剛宝器戒(こんごうほうきかい)とや申しけんなんと立つべし。三世の諸仏は此の戒を持(たも)って、法身・報身・応身なんど何れも無始無終の仏に成らせ給ふ。此を「諸教えの中に於て之を秘して伝へず」とは天台大師書き給へり。今末法当世の有智・無智・在家・出家、上下万人此の妙法蓮華経を持(たも)って説の如く修行せんに、豈仏果を得ざらんや。」
(日蓮大聖人平成新編御書1109㌻14行目~18行目)
【背景・概要】
本抄・『教行証御書』は、建治3(1277)年3月21日、日蓮大聖人様御年56歳の時、弟子の三位房(さんみぼう)に与えられた御消文です。当時、三位房は、公場(公の場所)において他宗との法論を控えており、本抄・『教行証御書』で、他宗の破折の論点や法論の心構え、言葉遣いなどを丁寧に御教示されています。内容は、まず正法時代・像法時代・末法時代の三時における教法・修行・証果(教行証)について明かされ、そして末法時代においては、本未有善(ほんみうぜん)の衆生に本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経を下種する時であると結論づけられています。続いて三位房からの質問に答える形で、真言宗・念仏宗・律宗などの邪宗の邪義、そして極楽寺良観個人に対する具体的な破折の要点を示され、一方「日蓮が弟子等は臆病にては叶ふべからず」(教行証御書1109㌻)と、謗法の者に対しては毅然とした態度で臨むよう促されています。
【語句の解説】
・教行証…教とは、仏様が説いた教え。行とは、その教えによって立てた修行法。証とは、教えの基、修行を実践することで得られた果徳。
・三世の諸仏…過去・現在・未来の三世に出現した一切の仏様のこと。
・万行万善…あらゆる修行と善行のこと。
・戒…非を防ぎ悪を止めることで、仏教信徒が必ず守り修めなければならない戒・定・慧の三学の一つ。
・金剛宝器戒…最も硬い金剛の宝器のように永遠に破れることがない戒のこと。
・法身・報身・応身…法身とは、真理の法、報身とは、真理を悟る智慧、またそれを体得した仏身。応身とは、衆生を救済するために実際に現れた仏身。
・無始無終の仏…始めも終わりも無い、三世にわたって常住する仏様のこと。
・「諸教の中に於いて~」…天台大師の「法華文句」(文句会本下278㌻)の「仏は三世に於て三身有り。諸教の中に於て之を秘して伝えたまわず」の文を指す。
・真言宗…中国の善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵によって始まる。日本には弘法大師空海が弘める。依経は『大日経』『金剛頂経』で、本尊は大日如来など。
〔通 釈〕
「この法華経の本門の肝心である妙法蓮華経は、三世の諸仏の万行万善(まんぎょうまんぜん)の功徳を集めて五字としたものである。この五字の内にどうして万戒(まんかい)の功徳を納めていない事があろうか。この(功徳)具足した妙戒(みょうかい)は、一度持てば、のちに行者が破ろうとしても破れない。これを金剛宝器戒(こんごうほうきかい)という」と(律宗の者に対しては)言えばよかろう。
三世の諸仏はこの戒を持って、法身・報身・応身共に無始無終の仏に成られたのである。
これを「諸教の中に於(おい)てこれを秘して伝えなかった」と天台大師は書かれたのである。今、末法の世の智者・愚者、在家・出家、上下万人が、この妙法蓮華経を持(たも)って説の如く修行するならば、どうして仏果(ぶっか)を得ないことがあろうか。
【御妙判を拝して】
拝読の御妙判では、律宗への破折を示しながら、我等日蓮正宗が持つ戒(かい)即ち本門戒壇の大御本尊様を固く受持することにより、深大(じんだい)なる仏果(功徳)を得られる旨を示されています。戒には、小乗経(しょうじょうきょう)の戒・権大乗経(ごんだいじょうきょう)の戒・実大乗経(じつだいじょうきょう)の戒とそれぞれあります。
小乗経の戒は、数多くの戒が示され、仮に生前その戒を持(たも)てたとしても、死んでしまえば失うため、小乗経の戒を素焼きの土器(瓦器)に譬えて「瓦器戒(がきかい)」と呼ばれています。
権大乗経の戒は、戒を受けた人が亡くなってもその価値が失われないため、権大乗経の戒を金銀の器に擬えて「金銀戒(きんぎんかい)」と呼ばれていますが、しかし権大乗経の教えには方便の諸教が混じっているため、戒を持ったとしても一切衆生が即身成仏できません。
実大乗経の戒とは法華経の戒を指します。法華経は、一切衆生が皆即身成仏できる教えであります。この戒について伝教大師は「如来の宝戒。一たび之(これ)を受くれば、即ち永劫(えいごう)に失せず。而(しか)も大用(だいよう)を十界に施す。譬(たと)へば金剛(こんごう)の一たび利宝(りほう)と成れば更に破戒せず」(伝教大師禅宗1-486㌻)と示され、一度戒を受けたならば、将来如何なることがあろうとも、決して破れることが無く、その身から離れることがありません。そしてその戒を、何物にも勝る魅力と強硬なる硬さを持つ金剛石から譬えて、「金剛宝器戒(こんごうほうきかい)」と呼ばれています。
大聖人様は「三世の諸仏は此の戒を持って、法身・報身・応身なんど何れも無視無臭の仏に成らせ給ふ」と示され、仏様もこの金剛法器戒を受持し仏と成られたとお示しになっています。
我々は深い縁(宿縁)あってこの戒・金剛宝器戒を受けることができました。有難いことに、本人が如何ようにしても戒を持ち続けることができます。しかし我々は、甘んじること無く信心を練磨し続けることが肝要です。拝読御文の末尾に「此の妙法蓮華経を持って説の如く修行せん」と御教示で、「説の如く」とは大聖人様の御教示(説)のままに正直に仏道修行に励むということであり、励む者は「豈仏果を得ざらんや」と罪障消滅そして即身成仏の大功徳の仏果を得ることができると仰せられています。
では大聖人様の教え(説)を正直に仏道修行に励むとは、「深く信心を発(お)こして、日夜朝暮に又懈(おこた)らず磨くべし。何様(いかよう)にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是(これ)をみが(磨)くとは云ふなり」(一生成仏抄46㌻)と仰せです。
日々に朝・夕の勤行に励み、志して南無妙法蓮華経と御題目・唱題に励む修行を日々継続して励み続ける事であると御指南です。
弛まず・諦めず・決めつけず、仏道修行に励行し更なる強硬な金剛宝器戒を自らの手で手に入れるべく練磨しましょう。
以上
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