御経日(毎月1日) 住職法話 『臨終用心抄⑯』
『臨終用心抄⑯』(総本山第二十六世日寛上人が臨終の大事とその心得えを御指南された書)
臨終を迎える人に当たって心得るべき作法②
【本 文】
一、病人の近所には三四人には過ぐ可からず、人多ければ騒がしく心乱るる事あり。
一、魚鳥五辛を服し酒に酔ひたる人何程親しきなりとも門内に入る可からず、天魔便りを得て心乱れ悪道へ引き入る故也。
一、家中に魚を焼き病人に嗅気及ぶ可からざる事。
一、臨終の時には喉渇く故に清紙に水をひたして時々少々宛潤す可資、誰か水などと名づけてあらあらしく多くしぼり入る可からざる事。
一、唯今と見る時本尊を病人の目の前に向け耳のそばへより臨終唯今也、祖師御迎ひに来り給ふ可し、南無妙法蓮華経と唱へ給へとて病人の息に合わせて速からず遅らず唱題すべし、已に絶へ切っても一時ばかり耳へ唱へ入る可し、死にても底心あり或は魂去りやらず死骸に唱題の声聞かすれば悪趣に生るる事無し。
〔語句解説〕
・五辛…経典に制止されている「にんにく」「にら」「ねぎ」「らっきょう」「のびる」のこと。
・悪趣…現世で悪事をした結果、行かなければならない苦しみの世界。三趣・三悪趣(地獄界・餓鬼界・畜生界)・四趣・四悪趣(地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界)・五趣・五悪趣(地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界)等がある。
〔現代語訳〕
一、病人(臨終を迎える人)のそばには、三、四人以上の人がいてはいけない。人が多ければ、何かと騒がしくなって心が乱れることがある。
一、魚鳥等の肉や五辛を食べたり、酒に酔った人を、いかに親しい間柄だったとしても、池の中に入れてはいけない。天魔がきっかけをつかんで入り込み、心を乱れさせて悪道へ引き入れることになるからである。
一、家の中で魚を焼き、病人にその匂いが届くようなことがあってはいけない。
一、臨終の時には喉が渇くので、清浄な和紙を水に浸して、時々少しずつ口に当てて潤わせなさい。(本人から)「誰か水を」と言われた時、ゆるく絞って水分が多い状態で口に当てさせないこと。
一、臨終が近づいて、ただ今なりという時、御本尊を病人の前に掛け、耳元で「臨終ただ今です。大聖人様がお迎えに来られます。お題目を唱えましょう」と言って、臨終を迎える人の呼吸に合わせて、早からず、遅からず唱題すべきである。既に息絶えたあとも、しばらくの間は故人の耳に唱題の声を入れなさい。なぜなら、臨終を迎えてもその亡骸の奥に色法に対する心法が残っていたり、あるいは魂がすぐに去っていかないので、亡骸に唱題の声を聞かせれば、悪趣に生まれることはない。(色法…五感でとらえた物質的なもの。心法…心の用き)
〔御指南を拝して〕
今回は「臨終を迎える人に当たって心得るべき作法②」を拝しました。
具体的に五項目が御教示されていました。前回「臨終を迎えるに当たって心得るべき作法①(九項目)」同様に、病人の成仏を妨げない旨が示されています。遺された家族等は、これらのお示しに沿って行い、無事に大願たる成仏を得られるように臨終・葬儀等を行いことが大事です。またそれが、故人が最大に望む願いでもあることを決して忘れてはいけません。更には、葬儀の後は初七日忌〜七七日忌(四十九日忌)・百箇日忌・一周忌等と寺院に申し出、御僧侶に追善供養をして戴く事を忘れてはいけません。
これら一切が亡くなられし精霊に対する感謝と心得て努めましょう。更に大事なことは、家族の方と一緒にこれらを行うこと、この方法を話し伝えることが大事です。今回の御指南を拝し、家族の方等と確認し合いましょう。
(参考・令和七年五月度お経日法話)臨終を迎える人に当たって心得るべき作法①
㈠臨終の作法は、場所をきれいに清めて御本尊を掛け、香・華・灯明を供えること。
㈡臨終を迎える人の呼吸に合わせて、一緒に題目を遅からず早からず唱え、ゆっくりと鈴を鳴らし続ける。鈴の音を絶やさず、息が止まるまで鳴らし続けること。
㈢世間の不用な雑談は一切話してはいけない(本人の気が散らぬように)。
㈣病人(臨終を迎える人)の執着になることを、一切話してはいけない(本人が気になるようなことは話さない)。
㈤看病人(付添人)は、腹を立てたことや執着する事柄について話してはいけない(感情的なことや、こだわりを話さない)。
㈥病人から聞かれることがあれば、心を迷わさないように答えるべきである。
㈦病人の心残りになるような物品などを近くに置いてはいけない。
㈧ただ病人に対しては、今世の諸々の出来事は夢のようなものであると忘れ、南無妙法蓮華経と唱えるよう勧めることが大切である。
㈨病人の意に背く人を(瞋恚(しんに・自分の心に逆らう者を憎み怒る)の心を起こさせないために)くれぐれも近づけてはいけない。総じて、見舞いなどに来る人の一々を病人に知らせるべきではない。
以上
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