御経日(毎月1日) 住職法話 『臨終用心抄⑲』
『臨終用心抄⑲』(総本山第二十六世日寛上人が臨終の大事とその心得えを御指南された書)
臨終の相によって後生を知る
【本 文】
一、臨終の相に依って後の生所を知る事。
金山(かなやま)二末(三五)に諸文を引く、往見。御書三二(十一)に云く、法華経に云く如是相(にょぜそう)乃至究竟(くきょう)等云々。大論に云く臨終に黒色なるは地獄に堕つ当云々。守護経に云く地獄に堕つるに十五の相あり、餓鬼に七種の相あり、畜生に五種の相あり等云々、天台大師摩訶止観(まかしかん)に云く身の黒色をば地獄の陰に譬ふ等云々。乃至天台の云く白は天に譬(たと)ふ等云々。大論に云く赤白端正なる者は天上を得ると云々。天台大師御臨終の記に云く色白と云々。玄奘三蔵御臨終の記に云く色白と云々、一代聖教を定むる名目に云く、黒業は六道に止り、白業は四聖となる云々。
〔語句解説〕
・金山…金山抄。
・御書三二…妙法尼御前御返事。
・如是相乃至究竟等…法華経方便品第二の経文。
・大論…大智度論。
・守護経…守護国界主陀羅尼経。
・摩訶止観…天台大師著・法華三大部(法華玄義・法華文句・摩訶止観)の一つ。
・六道…十界のうち地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界。
・四聖…十界のうち声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界。
〔現代語訳〕
一、臨終の相によって没後、どこに生まれるかを知ることについて。
『金山抄』に、諸々の文献を引用しているので見るとよい。
『妙法尼御前御返事』には「妙法尼のお手紙に、題目を昼夜に唱えられ、既に臨終の際には二遍声高に唱えていたので、生前より色白く形相も変わらない」(御書1482趣意)とある。
法華経には「如是相乃至究竟等」とあり、また『大智度論』には「臨終の際に色が黒くなるのは地獄に堕ちる相である」等とある。
また守護国界主陀羅尼経には「地獄に堕ちたならば十五の相があり、餓鬼に七種の相があり、畜生に五種の相がある」等とある。
天台大師の『摩訶止観』には「身の黒きは地獄の陰に譬え、身の白きは天界に譬える」等とある。
『大智度論』には「肌が赤味がかった白色(赤白色)で端正な相の者は天上に生まれる」とある。
天台大師の御臨終の記録には「色白であった」という。玄奘三蔵の臨終の記録である『大慈恩寺三蔵法師伝』には「色白であった」とある。
釈尊一代の聖教を定めた名目には「黒業は六道のうちに留まり、白業は六道から離れて四聖となる」とある。
〔御指南を拝して〕
今回は「臨終の相によって後生を知る」を拝しました。亡くなった時の相(顔および体)は、生前の姿を現すと言われますが、拝読御指南では、臨終の相によって死後十界のどこへ行くかが判る旨を御書等から示されていました。大聖人様は「人は臨終の時、地獄へ堕つる者は黒色となる上、其の身重き事千引の石の如し。善人は設(たと)ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鳶毛(がもう)の如し。軟らかなる事兜羅綿(とろめん)の如し」(千日尼御前御返事1290㌻)と即ち、地獄に堕ちる者は顔・体が黒色となり非常に重くなると示され、成仏する者は、仮に生前陽に焼けて黒かったとしても、臨終の時には白色と変じ、身体も鳶毛の如く軽く、兜羅綿(とろめん)の如く柔らかく変ずると仰せられています。
我々は成仏大願を得るべく日々仏道修行に励行しておりますが、日寛上人は「妙法尼のお手紙に、題目を昼夜に唱えられ、既に臨終の際には二遍声高に唱えていたので、生前より色白く形相も変わらない」と、大聖人様が妙法尼に与えられた御教示を引用されています。この御指南からも、我々は日々に「成仏大願を得る」ことをけっして忘れず、そのために昼夜問わず時間を割いて御題目を唱え、自行化他の信心に励行し続けることが、大願を果たせる唯一の道であることを、この御妙判から得て頂きたいと思います。
我々はいつ臨終の時を迎えるかは判りません。故に、いつ迎えてもいいように『臨終用心抄』のお示しを心得ておくことが大事です。と同時に、送る側の心得及びサポートも正しく伝え、臨終の時にはそのように行って貰うよう徹底することが、成仏大願を得る方法です。今回のお示しをしっかりと胸に刻み止め、また家族の方にも伝えておきましょう。
以上
秋季彼岸会
9月21日(日) 午後1時・午後7時9月23日(火・祝日) 午後1時
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