令和7年12月度 御報恩御講 拝読御書

『義浄房御書(ぎじょうぼうごしょ)』 

文永(ぶんねい)10(1273)年5月28日 聖寿52歳


相構(あいかま)へ相構(あいかま)へて心の師とはなるとも心を師とすべからずと仏は記し給ひしなり。法華経の御為に身をも捨て命をも惜しまざれと強盛に申せしは是なり。

(御書669㌻11~12行目)

【背景・概要】

 本抄は、文永(ぶんねい)10(1273)年5月28日、日蓮大聖人様が52歳の御時、佐渡において認められ、清澄寺住僧の義浄房へ送られた御書です。義浄房は、安房(現在の千葉県)清澄寺(当寺:天台宗)の出家時の師匠・道善房の弟子で、大聖人様の出家時の兄弟子に当たります。出家時に道善房はもちろんのこと、兄弟子の浄顕房と義浄房の二人の兄弟子から仏典等教育を受けられました。また大聖人様が建長5年4月28日に立宗宣言(宗旨建立)せられた時に、地頭・東条景信が怒り狂い、大聖人様を亡き者にしようとしたとき、浄顕房・義浄房の兄弟子が大聖人様を外護されています。その時の様子をのちに「日蓮が景信にあだまれて清澄寺を出(い)でしに、を(追)ひてしのぶ出(い)でられたりしは天下第一の法華経の奉公なり。後生は疑ひおぼすべからず」(御書1031㌻)と仰せられています。義浄房は、その後清澄寺の師匠の元に戻りましたが、たびたび大聖人様に御法門を尋ねられ理解を深めています。(その結果、一説には、義浄房は心では大聖人様の教えに帰依したようですが、体は帰依できなかったと伝わります)

 本抄の冒頭に、「御法門の事委(くわ)しく承(たまわ)り候(そうら)ひ畢(おわ)んぬ」(御書668㌻)とあることから、義浄房から法門について質問されたことに対する返書であると拝されます。


【語句の解説】

相構へ…十分に注意して。必ず。決して・

心の師とはなるとも心を師とすべからず…涅槃経師子吼品(ししくほん)等に説かれ、正法を心の師とし、凡夫の迷いの心をもとに判断しないよう誡められている。


〔通 釈〕

 決して心の師とはなるとも、(凡夫の迷いの)心を師としてはならない、と釈尊は経典に記されている。法華経のためには身を捨てて命をも惜しまないようにと強盛に言ってきたのはこのことである。


【御妙判を拝して】

 拝読の御妙判では、「心の師とはなるとも心を師とすべからず」と御教示されています。これは「心の師」すなわち「日々に我々が進むべき道を教えて下さる師匠を心のよりどころとすべき」と教えられ、しかし誤っても「心を師」すなわち「我々の心を師匠とし、我々の心をよりどころとしてはいけない」とも教えられています。

 まず「心の師」の我々が師匠とすべき方がどなたであるかを考えてみたいと思います。日蓮大聖人様は「聖人と言う方は過去世・現在世・未来世の三世を詳しく知る方を聖人と言う」(聖人知三世事748㌻趣意)と御指南されています。

 この「三世を詳しく知る」とは、原因と結果の因果も含まれており、三世を詳細に知る方が聖人と教えられています。また聖人とは仏様を表し、同時に聖人とは知徳・人徳に勝れた人を表します。我々が日々の心のよりどころとすべき師匠は三世の詳細を悟られたる聖人=仏様を師匠とし、その教えのままに正直に動く(仏道修行)ことにより、正しい人生を歩むことができると大聖人様は教えられています。

 つぎに「心を師」ですが、その意味は上記の通り我々自身の心または自分以外の人の心をよりどころとし師匠とすることを指します。なぜ所謂人の心を師匠とすることがだめかと言えば、日蓮大聖人様は「私達凡夫=人の心は、深い煩悩に覆われた迷いの心で、まるで暗く濁った鏡のようなものである」(一生成仏抄46㌻趣意)と御指南されています。また大聖人様は、我々の命は元本(がんぽん)の無明(むみょう)という欲望=煩悩に覆われた命であるとも御指南されています。仏教では差別が説かれています。十界の差別、時間の差別、男女の差別等々、その差別のなかにそれぞれが「自分がいかなるモノであるか」を知り、仏様の教えの通りに正しく仏道修行に励行していく事の大事を教えられています。

 その点からしても聖人(しょうにん)ではなく、頑張っても聖人(せいじん)止まりが人の心です。そのような人の心を師匠とし、毎日の心のよりどころとし、動いてみても正しい人生を歩むことはできないと大聖人様は教えられています。

 以上の御指南から我々は聖人(しょうにん)=仏様の御教えを日々のよりどころとし、その御教えのままに正直に仏道修行を励行することにより功徳を得て、幸せに成ることが叶えられると教えられています。また御先師日顯上人は「御本尊様に向かい奉って南無妙法蓮華経のお題目を唱えていくところに、我々の心が常に正しくなっていくという所以があるわけであります」(顯全1-1-543)と、御本尊様にお題目を唱えるとき、我々の穢(けが)れた命も清き命へと浄化する功徳を得られるとも仰せられています。

 本年も残り半月余りです。本年12回の御講で12回分の大聖人様の御教え・猊下様の御指南を教わりました。その12回のうちどれほどの御教えを実行できたか?を振り返り、頑張れた御教えは、明年も継続して励みましょう。また実行できなかった御教えは、明年励みましょう。

以上

日蓮正宗 法寿山円照寺(呉市)

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