御経日(毎月1日) 住職法話 『臨終用心抄㉒』
『臨終用心抄㉒』(総本山第二十六世日寛上人が臨終の大事とその心得えを御指南された書)
臨終正念にして題目を唱えれば、成仏は疑いない
【本文】
一、臨終に唱題する者は必ず成仏すべき事。
先ず平生に心懸け造次顚沛(ぞうじてんぱい)にも最も唱題すべし。又三宝に祈ること肝要なり。謂わく、善知識を得て兼ねて死期(しご)を知り、臨終正念証大菩提と祈るべきなり。多年の行功(ぎょうく)に依り、三宝の加護に依り、必ず臨終正念なるべし。臨終正念して妙法を唱えば「決定無有擬(けつじょうむうぎ)」なり。努々(ゆめゆめ)妄念を生ずべかざる事肝心なり。一心に妙法を唱えば妄念も起こるべからざるなり。
〔語句解説〕
・平生…普段・常日頃。
・造次顚沛…造次はわずかの間。顚沛はつまずき倒れる時間。転じてわずかな時間のこと。
・臨終正念…臨終以外の物事への執着(雑念)を捨て、一心に御本尊様を信じ、成仏を願う心。
・証大菩提…仏の悟り(大菩薩)を証得すること。
・妄念…疑いや迷いの心。
〔現代語訳〕
一、臨終の際に唱題する者は、必ず成仏することについて。
まず、平生から(臨終のことを)心掛けてわずかの間も唱題をすべきである。また下種三宝に祈ることが大切である。善知識を得て前もって死期のことを知り、「臨終正念証大菩提」と祈るべきである。その長年の修行で得た功徳によって、また下種三宝の御加護によって、必ず臨終正念となるのである。臨終正念にして妙法を唱えたなら、成仏は「決定(けつじょう)して疑い有ること無けん」(法華経517㌻)である。決して妄念を生じてはならないことが肝心である。一心に妙法を唱えたなら妄念も起こるはずがないのである。
〔御指南を拝して〕
今回は「臨終正念にして題目を唱えれば、成仏は疑いない」を拝しました。臨終正念とは、臨終の際に、臨終以外の物事への執着(雑念)を捨て、一心に御本尊様を信じ、成仏を願う心で、この心で御題目を唱えれば、成仏は疑いないと示されています。
しかし臨終の際には平生ではありませんから、心が乱れるものです。ですから本文のなかで「平生から(臨終のことを)心掛けてわずかな間も唱題をすべきである」と仰せられているのです。
また、「善知識を得て前もって死期(しご)のことを知り」とも仰せられています。「善知識を得て」とは、御本尊様にお題目を唱えて得る御仏智(功徳)=善知識または日蓮大聖人様の御教えより「死期のことを知る」ことも大事であると示されています。
この積み重ねによる長年の功徳によって、臨終の際に、臨終以外の物事への執着(雑念)を捨て、一心に御本尊様を信じ、成仏を願う心でお題目を唱えることができ、更には法華経に「決定(けつじょう)して疑い有ること無けん」と説かれるが如く、成仏することは疑いないと示されています。
しかし日寛上人は「決して妄念を生じてはならないことが肝心である」と仰せられています。妄念とは御本尊様を疑う心、大聖人様の御教えに対する迷いの心です。魔の妨害は臨終を迎えてもその力を緩めません。否や、その時こそ最大の力をもって妨害してくることでしょう。仮に妄念の心が起きたならば「一心に妙法を唱える」ことであると、強い心を持って一心に御本尊様をもってお題目を唱えれば、妄念も消えると仰せられています。
以上の御指南を拝して、我々は平生の時に臨終の大事を確認し、常々お題目を唱え、功徳を積んでいくことが肝要です。また臨終の際には、異常の精神ですから何が起こるか判りません。そのような時でもお題目が唱えられるよう、その点も御本尊様にお祈りしておくことも肝要です。
と同時に送る側の心得及びサポートも正しく伝え、臨終の時にはそのように行って貰うようお願いしておきましょう。
以 上
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