令和6年1月度 御報恩御講 住職法話
『経王殿御返事(きょうおうどのごへんじ)』
文永10(1273)年8月15日 聖寿52歳
「日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそ(染)めなが(流)してか(書)きて候ぞ、信じさせ給(たま)へ。仏の御意(みこころ)は法華経なり。日蓮がたましひ(魂)は南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。妙楽(みょうらく)云く「顕本遠寿(けんぽんおんじゅ)を以(もっ)て其(そ)の命と為す」と釈(しゃく)し給ふ。経王御前にはわざわひ(災)も転じて幸いとなるべし。あひかまへ(構え)て御信心を出(い)だし此の御本尊に祈念せしめ給(たま)へ。何事か成就せざるべき。「充満其願(じゅうまんごがん)、如清涼地(にょしょうりょうち)」「現世安穏(げんせあんのん)、後生善処(ごしょうぜんしょ)」疑ひなからん。」
(御書685㌻14行目~686㌻1行目)
【背景・対告衆】
本抄は、文永10(1273)年8月15日、日蓮大聖人が52歳の御時、佐渡配流中に認められた御書です。宛名の経王御前は、前年に生まれたばかりで、実際には母親に対する書であると拝せられます。また経王御前は、この時病魔に冒されていて、その平癒の御祈念を大聖人様に願い出たことに対する御返事です。
【対告衆】
経王御前
四条金吾と妻・日眼女の子(詳細は不明)『経王殿御返事』を賜った頃、重い病気にかかり、それを知った大聖人様が病気の当病平癒を御祈念され、御本尊様の基に信行に励まれるよう御指南されている。
【御文拝読】
日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそ(染)めなが(流)してか(書)きて候ぞ、信じさせ給(たま)へ。仏の御意(みこころ)は法華経なり。日蓮がたましひ(魂)は南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。妙楽(みょうらく)云く「顕本遠寿(けんぽんおんじゅ)を以(もっ)て其(そ)の命と為す」と釈(しゃく)し給ふ。
〔語句の解説〕
・ 妙楽(みょうらく)…中国の天台宗第六祖。蘭陵(らんりょう)の妙楽寺に住していたため妙楽大師と称された。二十歳の時に玄朗(天台宗第五祖)から天台の教観(教学と観心の行法)を学び、玄朗なきあとは、天台宗の復興と天台教学の研鑽(けんさん)・宣揚(せんよう)に努め、天台宗中興の祖と言われる。天台三大部(法華玄義・法華文句・摩訶止観)の注釈書である法華玄義釈籤(しゃくせん)・法華文句(もんぐ)記・摩訶止観輔行伝弘決(まかしかんぶぎょうでんぐげつ)等の著書がある。
・ 顕本遠寿…妙楽大師の『法華文句記』(法華文句記会本下四八〇)文で、法華経『如来寿品第一六』では、釈尊が久遠五百塵点劫という長遠(ちょうおん)な仏寿(ぶつじゅ)を顕(あらわ)したと著している。
〔通釈〕
日蓮が魂を墨に染め流して認めた御本尊である。よくよく信じなさい。仏(釈尊)の本意は法華経である。日蓮の魂は南無妙法蓮華経に過ぎるものではない。妙楽大師は「(法華経は)顕本遠寿を明かすことを命とする」と釈している。
〔解釈〕
ここでは、当時病に冒されていた経王御前に御本仏大聖人様の魂が秘められた御本尊様に祈念することにより、当病平癒が叶えられる旨、妙楽大師が著された法華経の解釈著たる『法華文句記』より「法華経は長遠の願いが叶えられる教え」を引かれ、正直に御本尊様を信じて信心していく大事を御教示されています。
【御文拝読】
経王御前にはわざわひ(災)も転じて幸いとなるべし。あひかまへ(構え)て御信心を出(い)だし此の御本尊に祈念せしめ給(たま)へ。何事か成就せざるべき。「充満其願(じゅうまんごがん)、如清涼地(にょしょうりょうち)」「現世安穏(げんせあんのん)、後生善処(ごしょうぜんしょ)」疑ひなからん。
〔語句の解説〕
・ 充満其願、如清涼地…法華経『薬王菩薩本事品第二十三』(法華経五三五)の文。「其の願いを充満せしめたもう。清涼の池の(中略)如く」と訓ずる。法華経を持(たも)つ者の願いが叶うのは、あたかも清涼の池が人々の渇きを潤すようなものであるとの意。
・ 現世安穏、後生善処…法華経『薬草喩品第五』(法華経二一七)の文で、「現世安穏にして後に善処に生じ」と訓ずる。現世では安穏なる境涯となり、来世にも必ず善きところに生まれて妙法を受持することができるとの意。
〔通釈〕
経王御前には、災いも転じて幸いとなるであろう。信心を奮い起こしてこの御本尊様に祈念しなさい。何事も必ず成就するのである。「充満其願、如清涼地」「現世安穏、後生善処」との経文は疑いないものである。
〔解釈〕
ここでは、前文を受けて更に経王御前及びその家族に対し、この御本尊様を正直に信心していけば、災いも転じて幸せになる旨、法華経『薬王菩薩本事品第二十三』の「其の願いを充満せしめたもう。清涼の池の(中略)如く」と法華経『薬草喩品第五』の「現世安穏、後生善処(現世安穏にして後に善処に生じ)」との経文を引かれてご教示されています。
【御妙判を拝して】
拝読の御妙判では、当時病に冒されていた経王御前及びその家族に、大聖人様の御魂が秘された御本尊様を正直に信じ、祈念し信心に励めば、当病平癒が叶えられる旨を御教示された御文です。
さて、大聖人様の御魂が秘された本門戒壇の大御本尊様ですが、総本山第二六世日寛上人は「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり」(観心本尊抄文段・御書文段一九七)と、大聖人様御出世の御本慨が本門戒壇の大御本尊様の御図顕であり、この大御本尊様は、本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目の大一番即ち一閻浮提第一の御本尊様であると仰せられています。また総本山第六十七世日顕上人は、末寺寺院の御本尊様と大御本尊様の関係について、「どの御本尊様も大聖人一期御化導の究竟たる本門戒壇の大御本尊様が根本となっているのであり、その本門戒壇の大御本尊様によって開会せられた御本尊様はすべて、根本の大御本尊様と変わりのない功徳が存するのであります」(大日蓮・平成十一年十二月号)と、即ちお寺の御本尊様・皆さんご自宅の御本尊様は、すべて大御本尊様が根本となっていると仰せられています。
大聖人様は、拝読御文の中で「あひかまえて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就せざるべき」と、私達が正直に御本尊様を信受し、そして強盛にして真剣な唱題で祈っていくならば、一切の願いを必ず成就できると御教示されています。また大聖人様は、我々の信心について「信心とは特別なものではなく、例えば妻が夫をいとおしく思うように、夫が妻のために命を捨てるように、親が子供をいつくしむように、子どもが親から離れないように、御本尊様に正直な心で南無妙法蓮華経と唱えていく事である」と仰せられています。
御法主日如上人猊下は「私共は末法の御本仏日蓮大聖人様の大慈大悲によって、御本尊様を持つことができ、またその功徳によって、煩悩と業に苦しむ我が身を永遠の悟りの仏心と開き、現当二世にわたり、真実の幸福境界を成就させていただくことができる」(『大日蓮』令和六年一月号五七㌻)と、大御本尊様を正しくそして正直に信心に励めば、大御本尊様の大功徳により諸願成就を叶えられると仰せられています。また日如上人は「私たちはどのようにすれば、この仏祖三宝尊への広大なる御恩に報いることができるのか。総本山第二十六世日寛上人は、三宝の御恩に報ずる道は折伏にあることを(中略)御教示あそばされています。(同㌻)と、我々は、先の御文・御指南の仰せの如くに自らが信心していけば様々な成就を得られます。その得られた功徳に対し、御恩に報いられるのか、その答えが、未だ信心していない人への折伏・またかつて信心していた人への勧誡、いわゆる自行化他に励むこといであると仰せられています。
日如上人は、折伏業について、「御本尊様に対する絶対の確信を持って折伏することが大切であります。(中略)末法の御本仏宗祖日蓮大聖人様の教え以外に私たちが幸せになる道はないことを、確信を持って強く訴えていくことが大事」(同五八㌻)と、折伏する上で最も大切なことは、我々が大御本尊様に対する絶対の信を持って折伏を行う事であると仰せられています。その上で、強い確信を持って「大聖人様以外の教えでは我々は幸せに成れない」と、強く訴えていくことが大事であるとも仰せられています。更に日如上人は「強い確信に立つためにはどうすればよいか。それは己れ自身がしっかりと大御本尊様に絶対の信を取り、日夜朝暮に怠りなく、勤行・唱題に励んでいくこと」(同㌻)と、強い確信を持つためには、常日頃から怠りなく勤行・唱題に励行していくことであると御指南されています。また日如上人は、「御本尊様に心を込めて祈り、そして相手を思う一念と強い確信が心の底から湧き上がってきた時に発せられる言葉には、必ず相手の心を揺さぶらずにはおかない力が存している(中略)また、折伏に当たっては、自らの信心によって功徳を実証することも極めて大切」(同㌻)と、真剣なる唱題により、強い確信ある信心へと命を変えて戴き、更に唱題に励み、同時に折伏の相手を真剣に思う強い一念で唱題に励むとき、相手の心を揺さぶる言葉が発せられ、相手の命に届く折伏ができると仰せられています。また我々自身の折伏体験談を相手に伝えることも大事な方法であるとも仰せられています。
本年は「折伏前進の年」です。縷々拝読の御書・御歴代御法主上人の御指南をよくよく拝し、本年は精一杯折伏業に励行されますことをお祈りいたします。
以上
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