令和7年3月度 御報恩御講 拝読御書

松野殿御返事(異称:十四誹謗抄)   建治(けんじ)2(1276)年12月9日 聖寿55歳


御文に云はく、此の経を持(たも)ち申して後、退転なく十如是(じゅうにょぜ)・自我偈(じがげ)を読み奉り、題目を唱へ申し候なり。但し聖人の唱へさせ給ふ題目の功徳と、我等が唱へ申す題目の功徳と、何程(いかほど)の多少候べきやと云々。更に勝劣あるべからず候。其の故は、愚者の持(たも)ちたる金(こがね)も智者の持(たも)ちたる金(こがね)も、愚者の燃(とも)せる火も智者の燃(とも)せる火も、その差別なきなり。但し此の経の心に背きて唱へば、其の差別あるべきなり。

(平成新編日蓮大聖人御書 1046㌻11行目〜14行目)


【背景・概要】

 本抄は、大聖人様身延入山二年後の建治二(一二七六)年十二月九日、大聖人様御年五十五歳の時、弟子の三位房(さんみぼう)を使いとして、庵原(いはら)郡松野(現在の静岡県富士市)の郷主・松野六郎左衛門に与えられたお手紙です。さきに、松野殿から「御題目の功徳に勝劣がありますか」との質問に対する返書で、また法華経修行において留意すべき「十四誹謗」を挙げていることから『十四誹謗抄(じゅうしひぼうしょう)』との異称があります。

 本抄では、僧俗ともに十四誹謗を犯さないよう誡め、さらに法を求める心の大切さを教えられる中で、雪山童子(せっせんどうし)の故事を詳述されています。また、出家者には不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)の弘法を、在家者には真剣な唱題、御供養、随力弘通(ずいりきぐずう)の大事を御教示されます。最後に、その実践により、臨終における成仏があることを説かれています。


雪山童子(せっせんどうし)…涅槃経の『聖行品(しょうぎょうほん)』に説かれています。

 雪山童子は、釈尊が過去世において仏になるための修行をしていたときの名前です。

 雪山童子は正しい教えを聞きたいと常に願っていたところ、ある時、「諸行無常(しょぎょうむじょう) 是生滅法(ぜしょうめっぽう)」という、仏法の教えの半分だけを説いた言葉が聞こえてきました。その経文を耳にした雪山童子は歓喜(かんぎ)のあまり、この尊い教えをだれが説いたのかと、無我夢中であちらこちらを走り回ったのですが、そこには恐ろしげな鬼神だけがいました。

 雪山童子は、その求道(ぐどう)の強さから、鬼神への恐れなどもなく、鬼神に尋ねました。すると、偈(げ)を説いたのはまさしく鬼神だったのです。雪山童子は、その残りの教えを説いて欲しいと願ったところ、鬼神は、「おなかが減って残りの教えを説くことができない」と言います。鬼神が法を説くためには「生きた人間の血と肉を食べなければならない」ということなので、雪山童子は自分の身を与えることを約束し、残りの教えである「生滅滅已(しょうめつめっち) 寂滅為楽(じゃくめついらく)」という八字を教えてもらったのです。

 仏法の真理を得た喜びに満足した雪山童子は、「このままいたずらに死ぬ身を、法のために捨てることができれば本望です。約束通りあなたにこの身を差し上げましょう。しかし、私がこのまま死んでは、多くの人に尊い教えを伝えることができません」と、あたりの石や壁、樹木に言葉を書き付けました。そして、何の未練もなく、鬼神に向かって高い木から身を投げました。

 すると、実は帝釈天(たいしゃくてん)であった鬼神は実の姿となって、雪山童子を受けとめ、雪山童子が未来に必ず仏になることを告げたという話です。


【語句の解説】

松野六郎左衛門…駿河国庵原郡松野の郷主で、本名を松野六郎左衛門尉と称す。建治二年頃に入信したと考えられる。長男が跡を継ぎ、長女が上野の南條家に嫁ぎ(南条時光(なんじょうときみつ)殿の母)、次男が大聖人様の弟子となった日持(にちじ)。六郎左衛門尉は弘安元年十一月頃逝去するが、松野家では大聖人様が入滅なさる弘安五年までの七年の間に(現存するだけで)計十二通の御書を賜っている。

十四誹謗…正法に対する十四種の誹謗のこと。①憍慢(きょうまん)=驕り高ぶって正法を侮(そし)ること。②懈怠(けだい)=仏道修行を怠ること ③計我(けが)=自分勝手な考えで仏法を推し量ること。④浅識(せんしき)=浅はかな知識で正法を判断し、深く求めないこと。 ⑤著欲(じゃくよく)=欲望に執着して正法を軽(かろ)んじること。⑥不解(ふげ)=正法を理解しようとしないこと。⑦不信(ふしん)=正法を信じないこと。⑧顰蹙(ひんじゅく)=顔をしかめ正法を非難すること ⑨疑惑(ぎわく)=正法を疑うこと。⑩誹謗(ひぼう)=正法を謗(そし)ること。⑪軽善(きょうぜん)=正法を受持する者を軽蔑すること。⑫憎善(ぞうぜん)=正法をする者を憎むこと。⑬嫉善=正法を受持する者を嫉(そね)むこと。⑭恨善(こんぜん)=正法を受持する者を恨むこと。

十如是(じゅうにょぜ)…ここでは法華経『方便品(ほうべんぽん)第二』のこと。十如是とは、色心(しきしん)のあり方やそのはたらきを示したものであり、如是相(にょぜそう)・如是性(にょぜしょう)・如是体(にょぜたい)・如是力(にょぜりき)・如是作(にょぜさ)・如是因(にょぜいん)・如是縁(にょぜえん)・如是果(にょぜか)・如是報(にょぜほう)・如是本末究竟等(にょぜほんまつくきょうとう)の十をいう。

自我偈(じがげ)…法華経『如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)第十六』の「自我得仏来(じがとくぶつらい)」から「速成就仏身(そくじょうぶつしん)」までの文。(げ)とは偈頌(げじゅ)との意で、仏の徳や教理を賛嘆(さんたん)する詩節(しせつ)のこと。仏身の常住と依報(えほう)の国土の常住を説く。


〔通 釈〕

 お手紙に、「この法華経を受持してから、退転することなく方便品と寿量品の自我偈を奉読し、題目を唱えています。(そこでおたずねしますが)聖人の唱えられる題目と、我等の唱える題目の功徳には、どれほどの多少があるのでしょうか」とあった。決して功徳に勝劣があるわけではない。その理由は、愚者の持つ金(こがね)も智者の持つ金も、愚者の灯(とも)す火も智者の灯す火も、そこに差別はないのと同じである。ただし、法華経の心に背いて題目を唱えるならば、そこに差別が生ずるのである。


【御妙判を拝して】

 大聖人様は「誰が唱える御題目には何の差別はない」と御指南されています。即ち、唱える「南無妙法蓮華経」との題目は平等であると仰せられているのです。しかし、仏様が仰せられた御教えの通りに正直に唱えられなければ、そこに差別が生じるとも仰せられています。本『松野殿御返事』では十四誹謗を犯さない旨の御教示も示されています。我々は、正しく御題目を唱え、正しく功徳を賜るには、正しく正直に仏様の御教えの仏道修行に励行することによってのみ、得られるということを御妙判の御指南から拝しましょう。

 また大事なことは、大聖人様の御教えとは「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(三大秘法抄一五九四㌻)「願はくは『現世安穏 後生善処』の妙法を持(たも)つのみこそ、只今生(こんじょう)の名聞(みょうもん)後世の弄引(ろういん)なるべけれ。須(すべから)く心をに一(いつ)して南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界(にんかい)の思出なるべき」(持妙法華問答抄三〇〇㌻)「然るに在家の御身は、但余念なく南無妙法蓮華経と御唱へありて、僧をも供養し給(たも)ふが肝心にて候なり。それも経文の如くならば随力(ずいりき)演説も有るべきか」(松野殿御返事一〇五一㌻)等々と御指南あるとおり自行化他の信心こそ大聖人様の御教えです。我々は、常に自分自身が仏様の説かれた御教えの通りに仏道修行に励む(自行)と同時に、自分以外の人と仏道修行(化他行)に励むことを意識することを忘れず、兎に角、どこまでも正直に大聖人様の仏道修行を行うことに努めましょう

 信心とは誰のためにするのかと問えば、自分のためにするものです。自分のために大聖人様・猊下様が仰せられた仏道修行に正直に励行すれば諸願成就が叶います。しかし信心他人のためと考える人正直に励行できない人は諸願成就が叶いません。この基本を改めて心に刻み、求道心(ぐどうしん)をおこし拝読御妙判の仰せのままに信心に僧俗一致・異体同心して励みましょう。

以 上

日蓮正宗 法寿山円照寺(呉市)

広島県呉市にある、日蓮正宗円照寺です。悩みをお持ちの方、幸せを願う方、先祖を心から供養したい、など、様々なご相談に丁寧にお答えします。