御経日(毎月1日) 住職法話 『臨終用心抄⑥ 』
御経会(令和6(2024)年7月1日) 住職法話
臨終用心抄⑥
『臨終用心抄』とは…総本山第二十六世日寛上人が臨終の大事とその心得えを御指南された書。
臨終の際、心が乱れないために用心すること①『断末魔の時に心を乱さない用心』
【本文】
問ふ断末魔の時心乱されざる用心如何。
答ふ、平生覚悟すべき事也。一には顕宗論の意に准ぜば他人を譏刺すべからず、人心を傷切すべからず、此れ常の用心也。二には玄四(二十三)に云く身本と有ならず、先世の妄想、今の四大を招く。虚空を囲むを仮に名けて身と為す(文)。
〔語句解説〕
・断末魔…末魔とは、死穴、死節、支節とも訳され、体内の急所の意。臨終の際に、体内にある「末魔」と呼ばれる微細な部位が風の刀によって断ち切られるなどして分離し、激痛が走るとされる。
・平生…ふだん、常日頃。
・顕宗論…唐の玄奘三蔵訳『阿毘達磨顕宗論』。玄奘三蔵とは、中国・当時代の訳経僧。
・玄…中国・天台宗の祖・天台大師智顗が著した『法華玄義』。『法華玄義』とは、妙法蓮華経の経題等を著したもので、『法華文句(もんぐ)』『摩訶止観』と合わせて法華三大部と称す。
・妄想…実際には存在しないものを存在すると思い描くこと。
・四大(しだい)…万物のもととなる地水火風空の元素のことで、人の身体はこの四大から成り立っているとされる。
・虚空…何もない空間のこと。
〔現代語訳〕
臨終の際に心が乱れることについて、三つの理由があること。
二には、魔のはたらきによる。『抄石集』には次のようにある。
「ある山寺の法師が男女の事に堕落して心を通わせた女性と一緒に住んでいたところ、この胞子が病に伏して月日が過ぎていった。この間、この内縁の妻はねんごろに看病などをしていたので、法師は安心して臨終を迎えることができるだろうと思っていた。法師は前から念仏の道心があって、しばしば称名などした者であった。いよいよ最期と思い、端座して合掌し西方に向かい声高らかに念仏を称えたところ、この妻は『自分を捨ててどこに行かれるのですか。なんと悲しいことでしょう』と法師の首にすがりついて引っ張って押さえ付けた。また起き上がって念仏を称えようとしては押さえられることを繰り返して、ついに押さえつけられたまま命終わってしまった。魔が臨終に障りをなしたのであろう。
また、道念のある僧が、男女の事に堕落して庵室に篭っていたところ、妻に知られることなく持仏堂に入り、端座して障りなく臨終を迎えた。その後、妻がそれを見つけて、『ああ、なんとくやしいことか、狗留孫仏の時代から取り憑いて悩ませてきたものを逃してしまった』と言い、恐ろしい表情と姿になって手を打つと、どこかへ飛んでいってしまった。
爾前権門の行者でさえ、このように魔が障りをなすのである。ましてや本門寿量文底の行者には、特に魔の障りがあるであろう。なぜかと言えば、必ず生死流転の苦しみを離れて成仏するからである。
〔御指南を拝して〕
臨終の時に心が乱れる第二の理由として魔の所為・魔による邪魔と示されていました。魔は色々なところへ、色々に形を変えて起こります。魔は幸せになること、ひいては成仏を得ることの邪魔をします。法華経以前の教えですら、魔の所為が起こるのですから、成仏できる妙法蓮華経の大聖人様の教えを信心する我々には、強力な邪の妨害・邪魔が起こることは当然であり、よくよくこの御指南を知って仏道に努めていくことが大事です。
以 上
0コメント