御経日(毎月1日) 住職法話 『臨終用心抄⑧』
御経会(令和6(2024)年9月1日) 住職法話
臨終用心抄⑧
『臨終用心抄』…総本山第二十六世日寛上人が臨終の大事とその心得えを御指南された書。
臨終の際、心を乱さないために用心すること③
【本文】
三には常に本尊と我と一体也と思惟(しゆい)して口唱を励むべし。御書十四(四十七)実に己心と仏心と一心なりと悟りなば臨終を礙(さ)ふるべき悪業も有らず、生死に留るべき妄念も有らず云々。又二十三(三十七)縦(たと)ひ首をば鋸にて引き切り乃至霊山(りょうぜん)へはしり玉(たも)ふ文、金山二末(三十二)。
〔語句解説〕
・一体也と思惟(しゆい)…境智冥合(きょうちみょうごう)で、大御本尊様(御本尊様)を境とし、大御本尊様(御本尊様)を正しく信心する者を智とし、この境智が冥合するところに大願が叶えられる。
・金山…日蓮宗・京都本満寺二十二世観妙院日存の書で、臨終の相について述べられている箇所を指す。
〔現代語訳〕
用心の三つ目には、常に御本尊と自身とが境智冥合(きょうちみょうごう)して一体であると思って、唱題に励むべきである。『三世諸仏総勘文教相廃立』に「実に、己心と仏心とは別なのではなく一心であると悟れば、臨終の時に障りとなる悪業もなく、生死に執着する妄念もなくなる」(御書一四二〇㌻取意)と仰せられている。また『如説修行抄』には「たとえ頚(くび)をのこぎりで引き切られたとしても、(臨終の間際まで題目を唱えるならば)霊山へ走り連れていってくださる」(同六七四㌻取意)との御文がある。また『金山抄』にもある。
〔御指南を拝して〕
今回の御指南・『用心の三つ目』では、臨終を迎えるその時には本門戒壇の大御本尊様・御本尊様を無疑曰信(むぎわっしん)に信じ、御題目に励み、その時を過ごすことが大事であると仰せられています。また、仮に臨終の時「頚(くび)を鋸で引き切られたとしても、只々御本尊様を信じ、御題目を唱えるならば、死した後に霊山(大聖人様の元)へ連れて行って下さる」とも仰せられています。また大聖人様は『生死一大事血脈抄(しょうじいちだいじけつみゃくしょう)』で「臨終只今にありと解(さと)りて、信心を致して南無妙法蓮華経と唱ふる人を『是人命終為千仏授手(ぜにんみょうじゅういせんぶつじゅしゅ)、令不恐怖不堕悪趣(りょうふくふだあくしゅ)』と説かれて候。悦ばしいかな一仏二仏に非ず、百仏二百仏に非ず、千仏まで来迎し手を取り給はん事、歓喜の感涙押へ難し」(御書五一三㌻)と、大聖人様の信心を正しくするものは臨終の時、千の仏様が迎えに来られ大聖人様のもとへ導いて下さると仰せられています。一方、その他の者は「法華不信の者は『其人命終入阿鼻獄』と説かれたれば、定めて獄卒迎えに来たって手をや取り候はんずらん」(御書五一三㌻)と、獄卒が迎えに来て地獄へ連れて行くと仰せられています。成仏・不成仏は、仏界へ行くか、地獄界へ堕ちるか、まさに天と地ほどの違いがあります。
先ずは、本日拝読の聖意を拝し、先ずは自身が成仏を得られるよう懸命に仏道修行に励行しましょう。
また縁あって今世に家族となり親族となった皆さんにも、この大事を伝え、この功徳を得られるよう、共に仏道修行に励行しましょう。
以上
0コメント