御経日(毎月1日) 住職法話 『臨終用心抄⑩』

御経日(令和6(2024)年11月1日) 住職法話

臨終用心抄⑩

『臨終用心抄』…総本山第二十六世日寛上人が臨終の大事とその心得えを御指南された書。

妻子や財宝等に対して用心すること①


【本文】

一、妻子財宝等の用心如何。

 答ふ、楽天が云く、金骸(きんがい)も本と実無し。一束の芭蕉草、眷属(けんぞく)偶(たまたま)相依る、一夕林鳥(いっせきりんちょう)を聞く(文)。

 三四の句は心地観経(ここぢかんぎょう)の意也、彼の第三に宿鳥(しゅくちょう)平坦各(おのおの)分飛(ひんび)す。命終別離亦是くの如し云々。

 一覧五(二十四)、五無反復経(ごむはんぷくきょう)、沙石七(九)に云く、昔し仏法を求むる道人(どうにん)有りけり。山中を行くに二人の山左(やまかつ)あり。一人は臥して一人は畠を作るあり。父子ならんと立寄て見れば其の子毒蛇にさされて俄(にわ)かに死せり。父嘆く色なくて此の道人に語って曰く、其のを(在)はする道に家あり、是れ我家也。其より食(じき)を持ち来るべし。唯今此の子俄かに死せり。一人の分の食(じき)を持ち来(きた)れと告げてた(食)べ、道人(どうにん)の云く父子の別れは悲しかるべし、何ぞ嘆く色なきやと問ふ。答へて云く親子はわづかの契り也。鳥の夜る林に寄合ひて明くれば方々(かたがた)に飛び去るが如し、皆業に任せて別かる何ぞ嘆かあらん。扨(さ)て彼家に至りて見れば女人食物を持て門に出づ。右の次第を見れば扨(さて)はとて一人が食を止む、家の内に老女(ろうにょ)あり、僧云く彼の死するは其の御子かと、老女爾也と云ふ、何ぞ嘆く色なきや。母の云く何ぞ嘆くべき、母子の契りは渡し舟に乗りに行くが如く、岸に付けば散々になるが如く、各業に任せて行く也。又此女人に死ぬる人は其の為に何ぞ。答ふ我が男也。何ぞ嘆く色なきや。何故に嘆く可(べ)き、夫婦の中は市(いち)に行き合ふ人の如し、用事すぎぬれば方々へ散るが如しと云(いわ)へり。時に道人(どうにん)万法の因縁仮(け)なる事ぞ悟れり云々。


〔語句解説〕

楽天…白居易(中国・唐の中期の詩人)の字(あざな)(古来中国で、性や名以外につけた別名・通称のこと)。白楽天とも呼ばれる。白居易の詩集のなか「逸老」の項に載る歌。

一覧…大乗一覧集のことで、中国・宋の時代の居士陳実の著(大蔵経の要文を集めて六十門に分類した)

沙石…沙石集のことで、鎌倉時代の仏教説話集。

眷属…血のつながっている一族。また師弟の関係にある者など。

五無反復経…中国・唐の時代の沮渠京声(そきょけいせい)の訳で、青年の死を通じて因縁仮和合(いんねんけわごう)と空(くう)を説いたもの。


〔現代語訳〕

1、妻子や財宝等の執着に対して、どのように用心するべきであるか。

 答える。白楽天は次のように詠んでいる。「人の身は実あるものではなく、例えば一束の芭蕉のようなものである。一家の眷属が相依って生活するのも、また一夜のねぐらを同じくする鳥と同じである」

 右の詩句中、三句と四句は心地観経の意を踏まえたものである。すなわち厭捨品第三に、「寄り集まって夜を過ごした鳥は、夜明けにそれぞれ分かれて飛んでいく。人の命が尽きて死別するのも、これと同じようなものである」とある。

 『大乗一覧集』、仏説五無反復経、また『沙石集』には次のようにある。

 「昔、仏法を求める出家者がいた。ある山中に入って行ったところ、二人の賎しい身分の者がいた。一人の青年は地に横たわり、年老いた一人は畑を作っているのを見た。父子であろうかと立ち寄ってみたところ、その子は毒蛇にかまれて急に死んだ。父親は嘆く様子がなくて、この出家者に語った。『あなたの来た道に家があり、それが我が家です。そこから家人が食料を持ってくることでしょう。ですが今しがた、この子が急に死んだので、一人分の食料を持ってきてほしいと家人に行ってください』と。出家者が、父子の別れは悲しいものであるのに、なぜ悲しむ様子がないのかと問うと、答えて言うに、『父と子の縁はわずかな契りの縁です。鳥が夜に林で寄り添い合い、朝が来ればあちらこちらに飛び去って行くようなものである。万事が業の因縁によって一緒になったり別れたりするのであり、なぜ歎(なげ)かなければならないのでしょうか』と。

 さて、その者の家にたどり着いたところ、一人の女性が食料を持って外に出てきた。先程の、青年が急死したことを伝えたところ、『それでは』と言って一人分の食料を家に戻した。その家の中に一人の老女がいた。出家者が、『青年が亡くなったが、彼はあなたの息子ですか』と話しかけた。するとその老女は『その通りです』と言った。出家者が何故悲しむ様子がないのかと尋ねると、その母は『なぜ歎かなければならないのでしょうか。母と子の契りの縁は、渡し船にたまたま一緒に乗り合わせ、岸に着いたら』散り散りになるようなものです。それぞれの業の因縁によって、一緒になったり別れていくのです』と言った。

 また、先ほど食料を持って出てきた女性に、亡くなった人とあなたはどのような関係かと尋ねたところ、自分の夫であると言う。なぜ歎く様子がないのかと尋ねると、その妻は『なぜ歎かねばならないのでしょうか。夫婦の縁は市場でたまたま行き会って、用事が終われば、それぞれ別れていくようなものです』と答えた。

 この時に出家者は、「一切万法の因縁は仮りのものであると悟った」という。


〔御指南を拝して〕

 今回の御指南『妻子や財宝等に対して用心すること①』を拝しましたが、今回は妻子等家族に関して示されています。

 またこの内容は、六月に拝した臨終用心抄⑤の『妻子や財宝等に対して用心すること①』から臨終を迎える時に妻子や眷属等にどのように用心したらよいかが示されたものと拝されます。因みに、六月に拝した臨終用心抄⑤の『妻子や財宝等に対して用心すること①』では、金の釜に執着した者は死した後に蛇に生まれ変わり、釜の近くに住み着いたとあり、お金に執着死した後に蛇に生まれ変わり、お金の近くに住み着いたと示され、そして「(現代語訳)臨終の時には妻子、または心の執着になる財宝等を見せてはならない。花を愛する者は臨終の際の執着によって小さな蝶に生まれ変わり、鳥を愛する者は畜生に生まれる」と示されています。

 この文を受けて、拝読御指南では、死する時に妻子や財宝等に執着しないための心持として、中国の唐の時代の白楽天の詩集、中国・宋の時代の居士陳実の大乗一覧集、鎌倉時代の仏教説話集・沙石集、中国・唐の時代の沮渠京声の訳した仏説五無反復経より、「例えば(一)父子となった因縁は、わずかな契りの縁であり、譬えば、鳥が夜に林で寄り添い合って夜を過ごす程度の縁であり、(二)母子となった因縁は、わずかな契りの縁であり、渡し船にたまたま一緒に乗り合わせ、岸に着いたらバラバラに別れるていどの縁であり、(三)夫婦となった因縁は、わずかな契りの縁であり、市場でたまたま出会い、用事が済めば、それぞれに分かれていく程度の縁である。」と示され、そして「一切万法の因縁は仮りであり、執着するまでもない」とし、今ある親子・夫婦・家族の関係(因縁)は、仮りの因縁であると心得て執着しないよう示されています。しかし実際の親子・夫婦・家族の関係(因縁)は、実に深いものであることはいうまでもありません。しかし執着させないための方便として示されていると心得て御指南を拝すべきです。

以上

日蓮正宗 法寿山円照寺(呉市)

広島県呉市にある、日蓮正宗円照寺です。悩みをお持ちの方、幸せを願う方、先祖を心から供養したい、など、様々なご相談に丁寧にお答えします。