御経日(毎月1日) 住職法話 『臨終用心抄⑭ 』
『臨終用心抄⑭』(総本山第二十六世上人が臨終の大事とその心得えを御指南された書)
臨終を迎える人に唱題を勧めること
【本 文】
臨終を勧むる肝心なる事。
致悔集(ちげしゅう)下八に云く臨終は勧むる人が肝要也。譬へば牧の馬を取るには必ず乗り得て取る也。乗るには必ずうつむかねば必ず落馬する故に是非ともうつむかんと思ふとも廃忘(はいもう)してうつむく事を忘るを、そばより勧むればうつむきて取りすます。其の如く病苦死期に責(せめ)られて臨終の事を失念するをば勧むるが肝心也。其の勧め様は唯題目を唱ふる也。
〔語句解説〕
・致悔集(ちげしゅう)…キキ京都本満寺十二世一如院日重が著述した『空過致悔集』二巻。
〔現代語訳〕
臨終の化儀を勧める大事について、『空過致悔集』には「臨終は勧める人(付添人)が大切である。例えば、放牧の馬を連れていくには、必ず馬に乗らなければならない。馬に乗る時には、必ず頭をかがめなければ、馬が暴れて落馬してしまう。
とは言え、かがもうと思っていても、馬が暴れると気が動転し狼狽し、かがむことを忘れてしまうものである。
その時に、傍にいる人が『かがめ!』と促せば、落馬せずに乗りこなすことができよう。そのように、病の苦しみや死期の苦悩に苛まれて臨終の作務を整えることを失念してしまうところを、付添人がその作法を勧めることが大切である。
その勧めようは、ただ題目を唱えさせることである」とある。
〔御指南を拝して〕
今回は「臨終を迎える人に唱題を勧めること」を拝しました。死期が近づくということは、病なのか寿命なのか、(現時点で)判断できませんが、少なからず元気な時ではなく、精神的にも不安定な時でしょう。
そのような状況の時に、元気な時と同様な判断をして、臨終の作法のもとに臨終に臨めるかと言えば、難しいことは想像に難くありません。
故に、付添人(家族・親族・知人など)に助けてもらい臨終に臨むよう示されています。その作法で、最も大事なことは、「成仏を願って御題目を唱える」ことであるとも示されています。
我々は、いつ臨終を迎えるか判りません。日蓮大聖人様は「されば先づ、臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし」と御指南です。
今回の御指南を拝し、頼める今、付添人(家族・親族・知人など)を探し、そして臨終の意義を伝え、正しい臨終に臨めるよう努力しましょう!
以上
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