令和7年7月度 御報恩御講 拝読御書
『一生成仏抄(いっしょうじょうぶつしょう)』
建長(けんちょう)7(1255)年 聖寿34歳
只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり。是を磨かば必ず法性真如(ほっしょうしんにょ)の明鏡(みょうきょう)と成るべし。深く信心を発こして日夜朝暮に又懈(おこた)らず磨くべし。何様(いかよう)にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是をみがくとは云ふなり。
(御書 64㌻16行目〜18行目)
【背景・概要】
本抄は、日蓮大聖人が宗旨建立(建長5年4月28日)より2年後の建長7(1255)年、御年34歳の時に鎌倉松葉ヶ谷の草庵にて認められ、宗旨建立後間もない時期に教化を受け入信した富木常忍(ときじょうにん)に与えられた御書と伝えられています。
本抄の大意は、
① まず成仏するためには、衆生に本来具わっている妙理を観ずるところにあるとされ、それは妙法蓮華経を称えることであると御教示されています。
② 次に、いかに妙法を持つとも、自己の心の外に妙法があると思うことは粗雑な教え、方便権教であって一生成仏は叶わないと御教示されています。
③ 続いて、衆生の心が汚れれば住む国土も汚れ、心が清ければ国土も清くなるとの道理を示し、また衆生(人)と言い、仏と言うのも同じで、迷う時を衆生と名付け、悟るときを仏と名付くと御教示されています。
④ 拝読の御文では、煩悩に覆われた凡夫(人)の心を磨き、悟る方便として、南無妙法蓮華経と唱えていくことを御教示されています。
⑤ 最後に、この旨を深く信じて妙法を唱えれば、一生成仏は疑い無いことを御教示されて本抄を結ばれています。
【語句の解説】
・一念無明の迷心…一念とは、衆生の刹那(極めて短い時間)の心の状態。無明とは、真理に暗いこと。無明という深く暗い煩悩に覆われた凡夫(人)の心をいう。
・法性真如…法性とは、諸法の本性。真如とは、あらゆる存在の真実の姿または心理。法性と真如は共に悟りを意味する。
〔通 釈〕
今の(私達凡夫)一念無明の迷心は磨かない鏡のようである。これを磨けば必ず法性真如の明鏡となるのである。深く信心を発こして日夜朝暮に懈らず磨くべきである。どのようにして磨けばよいのか。それはただ南無妙法蓮華経と唱えていくことを、これを磨くというのである。
【御妙判を拝して】
拝読の御妙判では、末法時代に生きる凡夫(人)の心は暗い鏡(暗鏡)だが、御本尊様に日々御題目を唱えていけば明るい鏡(明鏡)に転じることができる旨を御教示されています。総本山第二十六世日寛上人も「私達の心は本来、明鏡のように妙法蓮華経の当体であるが、心が煩悩の塵で覆われているために仏心を顕せないのである。煩悩で真っ黒に曇っている鏡でも、信力・行力を奮い起こして題目を唱え磨くなら、たちまち明らかな鏡となる。これは偏に鏡をみがく修行による」(『序品談義』歴全四-七五趣意)し、我々の煩悩の塵によって黒く曇り覆われた鏡も、御本尊様に唱題を重ねることにより、その曇りが磨き取られ明るい鏡たる妙法の仏心へと変わることができると仰せられています。
この御指南を胸に日々に御題目を励むことが肝要ですが、その励行の心(求道心)と同じくらい、否やそれ以上に魔の用(はたら)き(邪魔)が必ず起こります。故に大聖人様は「深く信心を発こして、日夜朝暮にまた懈らず磨くべし」と仰せられているのです。
この御指南の中に「又懈らず磨くべし」と「又」と付けられていますが、我々が励行すればするほど、魔の邪魔(妨害)も躍起になって起こると示されていますが、しかし我々は、魔の邪魔が入ることを当然と心に持ち、ミスが滔々と流れるように毎日毎日御題目の唱題を唱え、励み続ければ魔の邪魔に打ち勝つことができるのです。
要は魔との我慢比べでもありましょう。負けずに励行できれば、悪業の塵が一つ一つ取れるが如く罪障が消滅でき、一つ一つの幸せを得ることが叶えられます。故に我々は、魔の邪魔を当然起こるものと心得て、日々に御題目を唱え励行していきましょう。
7月16日は『立正安国論』を奉呈された日ですが、言うまでもなく『立正安国論』とは、日蓮正宗にとって最も大事な御書であり、古来より「日蓮大聖人様は立正安国論にはじまり、立正安国論に終わる」と、大聖人様の御精神が示されているのが『立正安国論』です。
御法主日如上人猊下は「『立正安国論』は(中略)文応元(1260)年7月16日、宗祖日蓮大聖人御年39歳の時、宿屋左衛門入道を介して、時の最高権力者・北条時頼に提出された国家諫暁書であります。(中略)すなわち『立正安国論』は大聖人が、日本国の上下万民が謗法の重科によって、今生には天変・地夭・飢饉・疫癘をはじめ自界叛逆難・他国侵逼難等の重苦に責められ、未来には無間大城に堕ちて、永劫にわたって阿鼻の炎にむせぶことょ悲嘆せられ、一往は和光同塵して仏の弟子として、再往は末法の御本仏としての大慈大悲をもって、身命を賭して北条時頼ならびに万民にお諫めあそばされたところの折伏諌暁書であります」(御法主日如上人猊下御説法立正安国論十三~十五㌻)と御解釈されています。
日如上人は「『立正安国論』の御聖意に従い、邪義邪宗の謗法こそ、人を不幸にし、国家社会を危うくする元凶であることを白絞め、一人でも多くの人を救済すべく、断固として折伏を行じ、正しい信仰に導いていくことが今、我々がなすべき最も大事なことであり、急務であると知るべきであります」(『大百法』令和七年六月十六日号)とも御指南されて、我々は今起こる様々な災い・災難は、すべて謗法の重科によるとの『立正安国論』の御聖意より、このことを知らない人達に知らしめるべく、下種・折伏に努め、更には謗法の重科が一つでも減るよう今こそ努めることが肝要であると仰せられています。
我々は、この7月16日の『立正安国論』奉呈日を迎えるに当たり、改めて『立正安国論』の御聖意、御法主日如上人猊下の御教示を確認し合い、謗法の重科に苦しむ人達に下種・折伏に努めていきましょう。
以上
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