御経日(毎月1日) 住職法話 『臨終用心抄⑮ 』
『臨終用心抄(りんじゅうようじんしょう)⑮』
(総本山第二十六世日寛(にちかん)上人が臨終(りんじゅう)の大事(こと)とその心得えを御指南された書)
臨終(りんじゅう)を迎(むか)える人(ひと)に当(あ)たって心(こころ)得(う)るべき作法(さほう)①
【本 文】
一、 臨終の作法は其(そ)の所を清浄(しょうじょう)にして本尊を掛け香(こう)華(け)灯明(とうみょう)を奉(たてまつ)る可(べ)き事。
一、 遅らず早からず惟(これ)久く惟(これ)長く、鈴の声を絶へ令(し)むる事勿(なか)れ、気尽くるを以て期(ご)とする事。
一、 世間の雑談一切語り申す可(べ)からず。
一、 病人の執心に留べき事を一切語る可(べ)からず事。
一、 看病人の腹立て候事。貪愛(とんあい)する事語る可(べ)からず。
一、 病人問ふ事あらば心に障らざる様に物語る可(べ)し。
一、 病人の近所に心留(とどま)る可(べ)き資財等置可(べ)からず。
一、 唯病人に対して何事も夢也と忘れ玉(たま)へ、南無妙法蓮華経と勧め申す可(べ)き事肝心也。
一、 病人心に違(たが)ひたる人努々(ゆめゆめ)近付く可からざる事。惣(そう)じて問ひ来る人の一々病人に知らすべからざる事。
〔語句解説〕
・貪愛(とんあい)…貪(むさぼ)りの心で愛着すること。執着すること。
・障(さわ)らざる…障(さわ)り…差し障(さわ)り、さまたげ。
〔現代語訳(げんだいごやく)〕
一、 臨終の作法は、場所をきれいに清めて御本尊を掛け、香(こう)・華(はな)・灯明(とうみょう)を供えること。
一、 臨終を迎える人の呼吸に合わせて、一緒に題目を遅からず早(はや)からず唱え、ゆっくりと鈴を鳴らし続ける。鈴の音を絶やさず、息が止まるまで鳴らし続けること。
一、 世間の不用な雑談は一切話してはいけない(本人の気が散らぬように)。
一、 病人(臨終を迎える人)の執着になることを、一切話してはいけない(本人が気になるようなことは話さない)。
一、 看病人(付添人)は、腹を立てたことや執着する事柄について話してはいけない(感情的なことや、こだわりを話さない)。
一、 病人から聞かれることがあれば、心を迷わさないように答えるべきである。
一、 病人の心残りになるような物品などを近くに置いてはいけない。
一、 ただ病人に対しては、今世の諸々の出来事は夢のようなものであると忘れ、南無妙法蓮華経と唱えるよう勧めることが大切である。
一、 病人の意に背く人を(瞋恚(しんに)(自分の心に逆らう者を憎み怒る)の心を起こさせないために)くれぐれも近づけてはいけない。総じて、見舞いなどに来る人の一々(いちいち)を病人に知らせるべきではない。
〔御指南を拝して〕
今回は「臨終を迎える人に当たって心得るべき作法①」を拝しました。具体的に九項目が御教示されていました。いずれも病人の成仏を妨げないことが記されています。我々は、いつ臨終を迎えるか判りません。日蓮大聖人様は「されば先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし」と御指南です。今回の御指南を拝し、一つ一つのことをしっかりと確認し、また看病人(付添人)にもこの旨を伝えていくことが大事です。
百日唱題行を、4月23日〜7月31日まで行っています。御法主日如上人猊下は「日寛上人は『観心本尊抄文段』に、「自行若し満つれば必ず化他有り。化他は即ち是れ慈悲なり」(御書文段219㌻)と、唱題の功徳が満つるところ、必ず折伏の実践が伴うことを御指南あそばされています。 この御指南からも明らかなように、唱題と折伏は一体のものであり、信心を基本とした唱題こそが折伏実践の原動力となるのであります」と御指南されています。
唱題は、我々の穢れた生命を浄化し、清浄なる命へと転換する仏道修行です。と同時に、他の人への折伏・育成が成就を叶えるための仏道修行です。この自行の題目そして化他行の題目を懸命に行う一生ならば、過去からの罪障も消滅され、そして即身成仏の大願更には臨終の時にも家族・親族等がしっかりとその意義の中で行じて戴けるでしょう。
所詮我々の世界は、原因と結果です。善い結果を得たければ善い原因を作らなければだめです。それも、自分自身が行わなければ、善い原因を作ることもできず、善い結果も得れません。先ず、その第一歩として百日唱題行で一つ一つの善い原因を作るべく唱題に僧俗一致・俗俗一致・異体同心して励行しましょう。
以上
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