令和7年8月度 御報恩御講 拝読御書
令和7年8月度 御報恩御講 拝読御書
『弥源太殿御返事(やげんたどのごへんじ)』
文永(ぶんえい)11(1274)年2月21日 聖寿53歳
南無妙法蓮華経は死出の山にてはつえ(杖)はしら(柱)となり給(たま)へ。釈迦仏・多宝仏・上行等の四菩薩は手を取り給(たも)ふべし。日蓮さきに立ち候はゞ御迎へにまいり候事もやあらんずらん。又先に行かせ給はゞ、日蓮必ず閻魔法王にも委(くわ)しく申すべく候。此の事少しもそら(嘘)事あるべからず。日蓮法華経の文の如くならば通塞(つうそく)の案内者なり。只一心に信心おはして霊山(りょうぜん)を期し給(たま)へ。
(御書 722㌻16行目〜723㌻3行目)
【背景・概要】
本抄は、北条弥源太が自身の当病平癒の御記念を願うため、日蓮大聖人に太刀と刀を御供養されたことに対し、文永(ぶんえい)11(1274)年2月21日、大聖人様が佐渡一谷(さどいちのさわ)で認められた御消息です。
弥源太は北条一門の人で、文永5(1268)年には、諸宗との公場対決をせまる『十一通御書』のうち一通を送られています。この前後に、弥源太は大聖人様に帰依したと考えられ、自身の大病をきっかけに信仰を深めました。
本抄では、まず一族すべてが謗法のなかを弥源太が大聖人様に帰依、法華経を信受するようになったことは、不思議な因縁であると示されています。そして、三世の諸仏が法華経を発心(ほっしん)・修行の杖と頼ったように、弥源太はこれ以後、大聖人様を杖・柱と頼んで一層強盛に信行に励み、成仏を願っていくよう諭されています。
また後段では、大聖人様が天照太神(てんしょうだいじん)ゆかりの安房国(あわのくに)に生を受けた因縁を通して、親徳具備(しんとくぐび)の一端を示されます。最後に、信心に怠りなく、必ず諸願を成就するよう弥源太夫妻を励まされて本抄を結ばれています。
【語句の解説】
・北条弥源太…北条一門の出身で、幕閣の要人。
・釈迦仏・多宝仏・上行等の四菩薩…法華経を説いた釈尊、釈尊の説いた法華経が真実であることを証明した多宝如来、釈尊滅後の法華経の弘通(ぐづう)を託された上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩の四菩薩のこと。上行菩薩の本地は、久遠元初自受用報身如来(くおんがんじょじじゅゆうほうしんにょらい)である。
・閻魔法王…冥界の王として人間の生前の行いを審判し、賞罰を決めるとされる。
・通塞…仏道の妨げ〔塞〕を取り除く〔通〕こと。
・霊山…釈尊が法華経を説いた霊鷲山のこと。転じて、常に仏が法を説く清浄な国土(常寂光土(じょうじゃっこうど))の意。霊山浄土。
〔通 釈〕
南無妙法蓮華経は死出の山では杖とも柱ともなり、釈迦仏・多宝仏・上行等の四菩薩は手を取ってくださるであろう。日蓮が霊山に先立つならば、お迎えに行くこともあろう。また貴殿が先にいかれるならば、日蓮は必ず閻魔法王にも委しく申し上げよう。此の事には少しも嘘偽りはないのである。日蓮は法華経の経文の通りであれば、通塞の案内者である。ただ一心に信心に励んで霊山を願っていきなさい。
【御妙判を拝して】
拝読の御妙判では、この信心を強盛に励んでいけば、死したあと、大聖人様が必ず霊山浄土へ導いて下さると仰せられ、故に、如何なることがあっても信心強情に励んでいくよう仰せられています。
特に、御書を給わった北条弥源太は北条一門であり、その北条一門が念仏宗・真言宗に深く帰依していた中で大聖人様の信心をしていくことは困難を究めたことは想像に難くありません。
大聖人様は「魔競はずば正法と知るべからず」(兄弟抄986㌻)と、正法なるが故に様々な魔の用きが起こると仰せられていますが、弥源太殿は、まさに魔が住み替う一族の中にあり、日々魔との戦いだったことでしょう。特に本抄を給わった時に弥源太殿は、大病に冒されていたようであり、一族からの信心への邪魔だけでなく、自身の内側にある病魔との戦いの日々だったのです。そのように内に外に襲い来る弥源太殿に大聖人様は、一心に御本尊様を信じ、御題目を唱えることで乗り越えることができると仰せられ、御自身を「通塞の案内者」と正法へ導かれる案内者と示されています。
御先師日顯上人はこの「通塞の案内者」について「やるべきことは一切、判っているはずです。唱題行をしっかり行っていくときには(中略)塞がっていてどうしたらよいかという問題に対して、そこに必ず解決の道が一つひとつ自然に表れてくるのです(中略)一時間でためだったら二時間、二時間でもまだ足りないと思ったら三時間の唱題を行うときに、必ずこの道が開かれると思います」(大日蓮・平成13年10月号)と、如何なる困難も御本尊様を信じ、御題目を唱えていくことによって、困難を乗り切ることができる。もし一時間唱題してもダメならは、二時間。二時間してもダメならば三時間と、行っていくことで必ず叶うと御指南されています。
また「一切を開く鍵は唱題行にある」(大日蓮・平成11年1月号)「かぎりなく 境涯ひらく 題目を 常に唱へつ 広布目指さん」(大日蓮・平成11年3月号)とも仰せられています。
さて何事も叶え、導いて下さる御本尊様ですが、大聖人様は弥源太殿に「ぜに(銭)と云ふものは用にしたがって変ずるなり。法華経も亦復(またまた)是の如し。やみ(闇)には灯(ともしみ)となり、渡りには舟となり、或(あるい)は水ともなり、或(あるい)は火ともなり給ふなり」(弥源太殿御返事723㌻)と、例えばお金は必要な時に必要な物へと変わるが、御本尊様も同様に、拝む人に必要なように、その功徳がその人に合って現れると御指南せられています。
この御本尊様の根本が総本山大石寺に在(ま)します本門戒壇の大御本尊様であるとしています。日寛上人は「一大秘宝とは即ち本門の本尊なり。此の本尊所住の処を名づけて本門の戒壇と為し、此の本尊を信じて妙法を唱うるを名づけて本門の題目と為すなり。故に分かちて三大秘宝と為すなり」(六巻抄・依義判文抄(えぎはんもんしょう)82㌻)と、大御本尊様=本門の本尊、本門の本尊ご安置の所=本門の戒壇、本門の本尊を信じ唱える題目=本門の題目。と示されています。
この示されている原理原則より、本門の本尊たる大御本尊様(大御本尊様を書写された日蓮正宗の寺院・信徒宅の御本尊様)を信じ、南無妙法蓮華経と御題目を唱える(本門の題目)とき、右記に示される御教示のとおり、我々の願いが成就する功徳を給わることができるのです。更に言えば、拝読御妙判に示されるとおり、この本門の本尊によって、我々は即身成仏を叶えられる功徳が得られるのです。
以上の御妙判を拝し、我々は正直な信心で仏道修行を練磨していきましょう。
盂蘭盆会(お盆)8月15日(金)13時・19時 8月17日(日)13時
『盂蘭盆御書』
「詮ずるところは目連尊者が自身のいまだ仏にならざるゆへぞかし。自身仏にならずしては父母をだにもすくいがたし。いわうや他人をや。しかるに目連尊者と申す人は法華経と申す経にて「正直捨方便」とて、小乗の二百五十戒立ちどころになげすてゝ南無妙法蓮華経と申せしかば、やがて仏になりて名号をば多摩羅跋栴檀香仏(たまらばせんだんこうぶつ)と申す。此の時こそ父母も仏になり給へ」(御書1376㌻)
以 上
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