御経日(毎月1日) 住職法話 『臨終用心抄⑰』

『臨終用心抄⑰』(総本山第二十六世日寛上人が臨終の大事とその心得えを御指南された書)


 臨終を迎えるに当たって心得るべき作法③


【本 文】

一、死後の五時(ごとき)も六時(ろくとき)も動かす可(べ)からず、此(こ)れ古人の深き誡め也。

一、看病人などあらく当る可からず、或はかがめをとする事、反すゞゝ(かえすがえす)有る可からず。

一、断末魔と云ふ風が身中に出来(しゅったい)する時、骨と肉と離るる也、死苦病苦の時也、此の時指にても当る事なかれ、指一本にても大盤石をなげかくる如くに覚ゆる也。人目には左程(さほど)にも見へねども肉身(にくしん)のいた(痛)み云ふ計(ばか)りなし。一生の昵(なじ)み唯今限り也。善知識も看病人も悲しむ心住すべし、疎略の心存す可からず、古人の誡(いましめ)也。惣じて本尊にあらずば他の者を見す可からず、妙法にあらずば他の音を聞かす可からず云々。


〔語句解説〕

断末魔…死にぎわの苦痛のこと。

…あらゆる世界を構成するという五大(地大・水大・火大・風大・空大)のうちの風大のこと。

大盤石…堅固で大きな石のこと。

昵(なじ)み…慣れ親しむ人や物。狭義には長年連れ添った伴侶のこと。

疎略の心…うとく思ったり、ぞんざいに考えること。


〔現代語訳〕

一、死後、十時間から十二時間ほどは遺体を動かしてはいけない。これは昔の人の固い誡(いまし)めである。

一、臨終を迎える前から、看病人や同居の家族などは、臨終を迎える人に荒々しく接してはいけない。または乱暴に介護することは決してあってはならない。

一、断末魔という風大の刀が身体の中に起こる時に、骨と肉とが分離するのであり、これが死に際の、また病でも最も苦しむ時である。この時に看病人等は、指でさえも触れてはいけない。指一本でも触ったりしても巨大な岩を投げつけるように感じて苦痛を覚えるからである。人目には大したことではないように見えても、臨終を迎える人が感じる痛みは言い尽くせないほどである。

一、今生一世の付き合いは、臨終の只今で終わる。善知識もお世話をしてきた看病人も臨終の別れを悲しむべきであり、ぞんざいに思ってはいけない。これは昔の人の誡めである。

一、総じて御本尊以外のものを臨終を迎える人に見せてはいけない。また題目のほかの、他の音を聞かせてはいけない。


〔御指南を拝して〕

今回は「臨終を迎えるに当たって心得るべき作法③」を拝しました。前々回及び前回に続くもので臨終を正しく迎えられるよう、臨終を迎える人への配慮と看病人等が如何に心構えやサポートが示されていました。いつ我々は臨終の時を迎えるかは判りません。故に、いつ迎えてもいいように『臨終用心抄』のお示しを心得ておくことが大事です。と同時に、送る側の心得及びサポートも正しく伝え、臨終の時にはそのように行って貰うよう徹底することが、成仏大願を得る方法です。今回のお示しをしっかりと胸に刻み止め、また家族の方等にも伝えておきましょう。


参考・臨終を迎えるに当たって心得るべき作法①(令和7年5月度『お経日』法話)

㈠臨終の作法は、場所をきれいに清めて御本尊を掛け、香・華・灯明を供えること。㈡臨終を迎える人の呼吸に合わせて、一緒に題目を遅からず早からず唱え、ゆっくりと鈴(りん)を鳴らし続ける。鈴の音を絶やさず、息が止まるまで鳴らし続けること。㈢世間の不用な雑談は一切話してはいけない(本人の気が散らぬように)。㈣病人(臨終を迎える人)の執着になることを、一切話してはいけない(本人が気になるようなことは話さない)。㈤看病人(付添人)は、腹を立てたことや執着する事柄について話してはいけない(感情的なことや、こだわりを話さない)。㈥病人から聞かれることがあれば、心を迷わせないように答えるべきである。㈦病人の心残りになるような物品などを近くに置いてはいけない。㈧ただ病人に対しては、今世の諸々の出来事は夢のようなものであると忘れ、南無妙法蓮華経と唱えるよう勧めることが大切である。㈨病人の意に背く人をくれぐれも近づけてはいけない。(自分の心に逆らう者を憎み怒る心(瞋恚・しんに)を起こさせないため)。総じて、見舞いなどに来る人の一々(いちいち)を病人に知らせるべきではない。


参考・臨終を迎えるに当たって心得るべき作法②(令和7年6月度『お経日』法話)

㈠病人(臨終を迎える人)のそばには、三、四人以上の人がいてはいけない。人が多ければ、何かと騒がしくなって心が乱れることがある。

㈡魚鳥等の肉や五辛を食べたり、酒に酔った人を、いかに親しい間柄だったとしても、家の中に入れてはいけない。天魔がきっかけをつかんで入り込み、心を乱れさせて悪道へ引き入れることになるからである。

㈢家の中で魚を焼き、病人にその匂いが届くようなことがあってはいけない。

㈣臨終の時には喉が渇くので、清浄な和紙を水に浸して、時々少しずつ口に当てて潤わせなさい。(本人から)「誰か水を」と言われた時、ゆるく絞って水分が多い状態で口に当てさせないこと。

㈤臨終が近づいて、ただ今なりという時、御本尊を病人の前に掛け、耳元で「臨終ただ今です。大聖人様がお迎えに来られます。お題目を唱えましょう」と言って、臨終を迎える人の呼吸に合わせて、早からず、遅からず唱題すべきである。既に息絶えたあとも、しばらくの間は故人の耳に唱題の声を入れなさい。なぜなら、臨終を迎えてもその亡骸の奥に色法(五感でとらえた物質的なもの)に対する心法(心の用(はたら)き)が残っていたり、あるいは魂がすぐに去っていかないので、亡骸に唱題の声を聞かせれば、悪趣に生まれることはない。

以 上

日蓮正宗 法寿山円照寺(呉市)

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