御経日(毎月1日) 住職法話 『臨終用心抄⑳』
『臨終用心抄⑳』(総本山第二十六世日寛上人が臨終の大事とその心得えを御指南された書)
謗法を犯す者は、たとえ臨終が善相であっても堕地獄は免れない
【本 文】
一、他宗謗法の行者は縦(たと)ひ善相有りとも地獄に堕つ可(べ)き事。
中正論八(二十)に云く、縦ひ正念称名(しょうねんしょうみょう)にして死すとも、法華謗法の大罪在る故に阿鼻獄に入る事疑ひ無しと云々。
私に云く禅宗の三階は現に声を失ひて死す。真言の善無畏(ぜんむい)は皮黒く、浄土の善導は顚倒狂乱す。他宗の祖師已に其れ此くの如し、末弟の輩其の義知る可し。師は是れ針の如し、弟子檀那は糸の如し。其の人命終して阿鼻獄に入るとは此れ也云々。
〔語句解説〕
・中正論…日蓮宗不受不施派の日題派の蓮華日題の論著で、日蓮宗から天台宗に改宗した真迢を非難した書。
・正念称名…正念とは、臨終の際に執着を離れ、乱れのない心のこと。称名とは、仏菩薩の名を称えること。本文では、善導が臨終の際に心を乱さず阿弥陀仏を念じたことを指す。
・三階…中国・禅宗の三階禅師(三階教の祖・信行)。本文の「三階は現に声を失ひ」とは、三階が法華経を信仰する在家に法華経信仰を否定したところ、その在家が、「自分の信仰が間違っていれば、自分を地獄へ堕とし、信仰が正しければ、現証を顕したまえ」と祈願したところ、三階の声が出なくなった。(撰時抄「当座には音(こえ)を失ひ」御書858㌻)
〔現代語訳〕
一、他宗の謗法の信仰者は、たとえ臨終の際に善い相であっても地獄に堕ちることについて。
蓮華日題の『中正論』には「善導がたとえ臨終の際に妄念等から離れ、正念をもって念仏を称えて寂したとしても、法華誹謗の大罪があるために阿鼻地獄に堕ちることは疑いない」とある。
私(日寛)が言うには、禅宗の三階禅師信行は現実に、臨終の際に声が出なくなって没した。真言の善無畏は相が色黒く、浄土の善導は平常心を失い狂乱して死んだ。他宗の祖師の臨終すら既にこのようなものであり、その末弟の者達は、他宗謗法の信仰者は堕地獄を免れないことを知るべきである。師僧または祖師を針とすれば、その弟子檀那は糸のようなものである。法華経譬喩品に「法華経を信じないで誹謗する者は、死してのちに阿鼻地獄に堕ちる」(法華経176㌻趣意)と説かれるのは、このことである。
〔御指南を拝して〕
今回は「謗法を犯す者は、たとえ臨終が善相であっても堕地獄は免れない」を拝しました。前回の「臨終の相によって後生を知る」で、臨終の相によって死後十界(仏界~地獄界)のどこへ行くかが判る旨を拝しましたが、今回は、日蓮正宗以外の宗教の誤った宗教をする僧及び信徒は、仮に死相が善くても必ず地獄へ堕ちる旨、正宗以外の宗派の僧を出し明かされています。
大聖人様は、中国の禅宗の三階禅師信行について「三階禅師は現身に大蛇となる」(松野殿御返事952㌻)と、死した後、大蛇となって弟子を呑み食らったと示され、中国浄土宗の善導については「所居の寺の前の柳の木に登り、西に向かひ願って曰く、仏の威神以(もっ)て我を取り、観音勢至来たって又我を扶けたまへと。唱へ畢(おわ)って青柳の上より身を投げて自絶す云々。三月十七日頸をくゝりて飛びたりける程に、くゝり縄や切れけん、柳の枝や折れけん、大旱魃(かんばつ)の堅土の上に落ちて腰骨を打ち折きて、廿四(24)日に至るまで七日七夜の間、悶絶躄地(もんぜつびゃくち)しておめきさけびて死に畢(おわ)ぬ」(念仏無間地獄抄41㌻)と、平常心を失い柳の木に頸をくくり、しかし縄が切れて大旱魃(かんばつ)で堅くなった土の上に落ち、腰の骨を折り、七日間悶絶して死んだと示されています。
日寛上人は、「末弟の輩其の義知る可し。師は是れ針の如し、弟子檀那は糸の如し。其の人命終して阿鼻獄に入る」と記され、誤った宗教を行い、それによって地獄へ堕ちた宗祖・開祖等の末路を、その信仰する僧及び信徒は知るべきであると仰せられ、師(宗祖等)は針、弟子信徒は糸の切っても切り離せない関係であり、師同様に苦しみのなか地獄に堕ちてしまうと仰せられています。しかし、このことは誤った宗教を弘める僧も、それを知らず知らずのうちに行う信徒も、解っていません。もしかすると他人事のように思っている人もいるでしょう。しかし残念なことは針と糸の関係ですから、末路は師と同じです。
幸いにして日蓮正宗の僧俗は、師(大聖人様)は御本仏様であり、我々を成仏へと導いて下さる仏様です。
弥源太殿に宛てた御指南に、「貴殿が先にいかれるのならば、日蓮は必ず閻魔法王にも委しく申し上げよう」(弥源太殿御返事722㌻)と仰せられています。この御指南を我々が得られるよう、先ずは日々に大聖人様の御教えを正直に励みましょう。またこの大事を家族と一緒に励みましょう。さらには大聖人様の御教えを信仰できていない家族・親族等に伝え、一緒にできるように励みましょう。
我々はいつ臨終の時を迎えるかは判りません。故に、いつ迎えてもいいように『臨終用心抄』のお示しを心得ておくことが大事です。と同時に、送る側の心得及びサポートも正しく伝え、臨終の時にはそのように行って貰うよう徹底することが、成仏大願を得る方法です。今回のお示しをしっかりと胸に刻み止め、また家族の方にも伝えておきましょう。
以上
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