御経日(毎月1日) 住職法話 『臨終用心抄㉖』
令和8年5月度御経日 (令和8年5月1日(金))
妙法の三力(みりき) ③信力―深く心中に染めて信心強盛に
【本文】
信力
一、妙法三カの事。仏力・法力・信力なり。
顕立正意抄(けんりゅうしょういしょう)に「日蓮が弟子等も亦(また)是くの如し。或は信じ或は伏し、或は随ひ或は従ふ。但(ただ)名のみ之を仮りて心中に染めざる信心薄き者は、設(たと)ひ千劫(せんごう)をば経すとも或は一無間(いちむけん)或(あるい)は二無間(にむけん)乃至(ないし)十百無間(じゅうひゃくむけん)疑ひ無からん者か。是れを免れんと欲せば各薬王(やくおう)・楽法(ぎょうほう)の如く臂(ひじ)を焼き皮を剥ぎ、雪山・国王等の如く身を投げ心を仕へよ。若し爾(しか)らずんば五体を地に投げ遍身(へんしん)に汗を流せ。若し爾(しか)らずんば珍宝を以て仏前に積め。若し爾(しか)らずんば処婢(ぬひ)となって持者に奉へよ。若し爾(しか)らずんば等云々。四悉檀(ししつだん)を以て時に適(かな)ふのみ。我が弟子等の中にも信心薄淡(うす)き者は臨終の時阿鼻獄(あびごく)の相を現ずべし。其の時日蓮ばし恨みさせ給ふな」「七五一]
【語句解説】
・千劫(せんごう)…劫とは、計ることのできない長遠(ちょうおん)な時間の単位。細軟(さいなん)の衣で四十里 (里=約4キロ)四方の大石を百年に一度ふき払っていき、大石が摩滅(まめつ)しても劫よりは短い)
・薬王 楽法…薬王とは薬王菩薩のことで、過去世に一切衆生喜見菩薩(きけんぼさつ)のときに、日月(にちがつ)浄明徳仏(じょうみょうとくぶつ)のもとで修行し、身を焼き臂(ひじ)を焼いて(焼身供養)灯明とし仏に供養した。楽法(ぎょうぼう)とは楽法梵志(ぼんし)のことで、過去世の釈尊の姿で、仏法を求めていたときに魔がバラモンの姿となって現れ、楽法梵志(ぎょうぼうぼんじ)の皮を紙とし、骨を筆とし、血を墨として書写するならば仏の一偈(いちげ)を説こうと言い、楽法梵志がその通りに行ったところバラモン(魔)はたちまちに消え去り、楽法梵志の求道心を感じた仏が出現し法を説いた。
・雪山・国王…雪山とは過去世の釈尊の姿である雪山童子(せつざんどうし)のことで、雪山童子は、あるいとき羅刹(悪鬼)に姿を変えた帝釈(たいしゃく)天王が「諸行無常 是生滅法(ぜしょうめっぽう)」と半偈を聞き、残り半偈を聞くために身を捨てて羅刹の糧となることを約束した。残りの半偈を聞いた後、聞いた半偈を石や壁などに書写し、約束通り羅刹の糧のなるべく岩の上から身を投げたところ、羅刹は帝釈天王の姿に戻り、雪山童子を褒め称えた。国王とは過去世の釈尊の姿である須頭檀王(すずだんのう)のことで、王位を捨てて大乗の法を求めていたときに、妙法を知る阿私仙人(あしせんにん)に出会い、千年の間、心を尽くして仕えた
・四悉檀…仏の説法を世界悉檀(せかいしつだん・世俗の信情に合わせて教えを説く)・為人悉檀(いにんしつだん・それぞれの人の能力や資質などに応じて教えを説く)・対治悉檀(たいちしつだん・衆生の煩悩や悪業に応じて教えを説く)・第一義悉檀(だいいちぎしつだん・直ちに第一義である真実の法を説くこと)の四種に分類したもので、世界悉檀・為人悉檀は摂受門(しょうじゅもん)、対治悉檀・第一義悉檀は折伏門(しゃくぶくもん)に当たる。
【現代語訳】
一、妙法の三力のこと。これは仏力・法力・信力である。
信力
『顕立正意抄(けんりゅうしょういしょう)』に「(かの不軽菩薩を軽んじ毀(そし)った者達は、現世に信伏随従したものの、謗法の報いによって阿鼻地獄に堕ちて千劫の間も大苦悩を受けた。)日蓮の弟子等も同じである。
あるいは信伏し、あるいは随従したとしても、ただ名のみで深く心中に染まない信心薄い者は、たとえ千劫までいかずとも、あるいは一劫、あるいは二劫乃至十劫白劫の間、無間地獄に堕ちることは疑いないだろう。
これを免れようと思うならば、各々が薬王菩薩のように臂を焼き、楽法梵志(ぎょうほうぼんじ)のように皮を剥ぎ、雪山童子のように半偈(はんげ)のために身を投げ、須頭檀王(すずだんのう)のように心から仕えるべきであろう。
もしそうでなければ、五体を地に投げて汗を流し、もうしそうでなければ、珍宝を仏前に積んで仏に供養すべきであろう。もしそうでなければ、奴婢(ぬひ)となって法華経の持者に仕えるべきである。
もしそうでなければ等々。四悉壇をもって時に適った修行をすべきである。我が弟子等のなかにも、信心薄き者は臨終の時に阿鼻地獄の相を現すであろう、その時になって私を恨んではならない」(御書751㌻取意)とある。
〔御指南を拝して〕
今回は「妙法の三力③信力 深く心中に染めて信心強盛に」を拝しました。大聖人様は、信心をしていたとしても信心強盛な者でなければ無間地獄に堕ちる可能性があると教えられています。それ程、成仏への魔の妨害が強いことが深いことを知るべきです。謗法の一つに懈怠(けだい)謗法があります。懈怠とは怠けることです。魔が邪魔をして怠ける心を起こさせることです。総本山第二十二世日俊上人は「一日の懈怠は一生の懈怠なり 一生の懈怠は未来永劫の懈怠なり」と御指南です。
たった一日の懈怠が未来永劫にまでつながると御指南です。成仏の大願を果たせるよう信心強盛を志して自行化他の信心に励行しましょう。
以 上
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