御経日(毎月1日) 住職法話 『臨終用心抄②』
『臨終用心抄』とは…総本山第二十六世日寛上人が臨終の大事とその心得えを御指南された書。
【本文】
一、 多念の臨終、刹那の臨終の事。
愚案(ぐあん)二(八)に云(いわ)く多念の臨終と云ふは日は今日、時は唯今と意に掛けて行住坐臥(ぎょうじゅうざが)に題目を唱ふるを云ふ也。次に刹那(せつな)の臨終と云ふは最期臨終の時也。是れ最も肝心也。臨終の一念は多念の行功に依ると申して不断の意懸けに依る也。樹の先づ倒るるに必ず曲れるに随ふが如し等之を思へ、臨終に報を受くる亦複(またまた)強きに従って牽く弘一中(ぐのいっちゅう)(四十四)文也。故に多年刹那に是を具足(ぐそく)する事肝要也。
〔語句解説〕
・愚案…日蓮宗・京都本満寺十二世一如院日重の著で、『見聞愚案記』のこと。
・多念の臨終…多念とは一念の対義語で、平生の一念の集積のこと。解釈として①平生から、「いつも臨終ただ今なり」との気持ちを持って修行に励む。②臨終間近と予想される時、「いつ臨終になってもいいように」、余念なくひたすら題目を唱える。の二つが考えられる。
・行住坐臥…日常の立ち振る舞いのすべてをいう。
・刹那…時間の最小単位をいい、極めて短い時間のこと。ここでは臨終の瞬間、臨終の際を指す。
・不断…いつも・平生・通常・日常との意。
・弘一中(ぐのいっちゅう)…弘とは妙楽大師の『摩訶止観輔行伝弘決(まかしかんぶぎょうでんぐけつ)』のことで、天台大師の『摩訶止観』を解説した書。
〔現代語訳〕
一、 多念の臨終、また刹那の臨終のこと。
『見聞愚案記』に次のようにある。「多念の臨終というのは、臨終の日は今日、臨終の時はただ今なりと日々、常に心に思い、行住坐臥にわたって題目を唱えることをいうのである。次に刹那の臨終というのは、最期臨終の時のことである。これがもっとも肝心なことである。最期の際の一念は、それまで積み重ねてきた主義用の功力による」と言って、常日頃(不断)の心掛けによるものである。樹木が倒れる時には、必ず曲がって傾いている方に倒れるようなものである等の道理をよく考えなさい。『弘決』に「臨終の際に報いを受けるのは、その時の強く念じる心に従って牽かれる」とある文の通りである。
従って、多年(念)の臨終、刹那の臨終ともに、普段からの唱題の心掛けが肝要である。
〔御指南を拝して〕
臨終に多念と刹那のそれぞれの時があると仰せられ、多念の臨終とは「臨終がいつ来ても良いよう」に毎日心掛けて仏道修行に励むことの大事を示され、刹那の臨終とは、臨終を迎える瞬間を指し、その瞬間に今まで励んできた仏道修行の功徳が現れることを示されています。多念にせよ、刹那にせよ、普段からの仏道修行が肝要であると結ばれています。
臨終は、老年・若年と年齢を問わずに訪れるものであり、且つ、いつ訪れるか判らないものです。我々は、この多念の臨終そして刹那の臨終を胸に置き、その時がいつ訪れてもいいように心掛けて修行に励み、同時にこの大事を家族・親族・同志に伝えて、共に励みましょう!
以上
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