御経日(毎月1日) 住職法話 『臨終用心抄③』
御経会(令和6(2024)年4月1日) 住職法話
臨終用心抄③
『臨終用心抄』…総本山第二十六世日寛上人が臨終の大事とその心得えを御指南された書。
臨終の際に心が乱れる三つの理由 その①『断末魔の苦しみ』
【本文】
一、 臨終の時心乱るるに三の子細(しさい)有る事。
一には断末魔(だんまつま)の苦の故。断末魔の風が身中(しんちゅう)に出来(しゅったい)する時骨と肉を離るるなり。正法念経(しょうほうねんぎょう)に云(いわ)く命終(みょうじゅう)の時風皆動ず千の尖(さ)き刀其の身の上を刺すが如し。十六分中尚を一に及ばず。若し善業有れば苦悩多からず云々。顕宗論に云く、人の為に言を発し他人を譏刺(きし)することを好み、実不実に随って人の心を傷切(しょうせつ)するは当に風刀(ふうとう)の苦を招くべき也。
〔語句解説〕
・断末魔…末魔とは、死穴(しけつ)、死節、支節とも訳され、体内の急所の意。臨終の際に、体内にある「末魔」と呼ばれる微細な部位が風の刀によって断ち切られるなどして分離し、激痛が走るとされる。
・正法念経…小乗経の一つで、正しくは「正法念処経」と称する。特に地獄・餓鬼・畜生界について詳述し、またその業の因縁について説かれた経典。
・業…①身口意にわたる種々の所作をいう。善悪にわけて善業・悪業という。②自らの所作によって生命に刻まれた業因のこと。これには、定業・不定業がある。定業とは、あらかじめ受ける悪業が定まっている業因で、不定業は定まっていない業因のこと。日蓮大聖人様は「定業すら能(よ)く能(よ)く懺悔すれば必ず消滅す。何に況(いわ)んや不定業をや」(可延定業御書760㌻)と仰せられている。
・顕宗論…唐の玄奘三蔵訳『阿毘達磨顕宗論(あびだつまけんしゅうろん)』。
〔現代語訳〕
一、 臨終の際に心が乱れることについて、三つの理由があること。
一つは断末魔の苦しみのためである。
臨終の際に、身体の内に刀のような風が起こり、骨と肉が離れるのである。『正法念処経身念品』には、「命尽きる時、風の刀が全て動く。千本の鋭い刀が身体を刺すような苦痛である。しかし、それも臨終の苦痛に比べれば十六分の一にも及ばない。もし善業があればその苦痛は多くない」などとある。『阿毘達磨顕宗論』には「他人と接するに言葉でその人をそしることを好み、実・不実にしたがって他人の心を傷つけると、臨終の際に風の刀によって、苦を招くのである」とある。
〔御指南を拝して〕
臨終の時に心が乱れる三つの内の一つを拝しました。今回は生前の悪い行い(業)が臨終の時に悪業(結果)として風の刀として現れて苦痛にあうと示されています。しかし、生前の行いが善ければ、「その苦痛も多くはない」とも示されています。この仰せから我々は、悪業を積まないように先ずは自身の仏道修行につとめ、一つでも罪障を消滅するよう励むことが肝要です。また一つは、化他行である折伏そして育成に努めるよう励むことが肝要です。
願わくば、今回示された風の刀に身体を刺されないよう、苦痛を味わうことなく、成仏を得られるよう、志して日々仏道修行に励行していきましょう!
0コメント