御経日(毎月1日) 住職法話 『臨終用心抄④』
御経日(令和6(2024)年5月1日) 住職法話
臨終用心抄④
『臨終用心抄』(総本山第二十六世日寛上人が臨終の大事とその心得えを御指南された書。)
臨終の際に心が乱れる三つの理由 その②『魔のはたらき』
【本文】
一、 臨終の時心乱るるに三の子細(しさい)有る事。
二には魔の所以。抄石集四(二十三)に云く、或る山寺の法師世に落ちて有る女人をかたらひ相ひ住みける程に此の僧病ひに臥して月日をへにけるに、此の妻ねんごろに看病なんどし故に意易く臨終もしてんずと思いける程に本より道心有て念仏の数辺なんどしける者にて、最期と覚ければ端座合掌して西方に向て高声念仏しけるを此の妻我を捨てて何くへをはすぞとあら悲しやとて首にいだき付て引き臥せけり。あら口惜し、心安く臨終せさせよと起き上がりて念仏すれば亦引臥せ引臥せしけり引臥せられておはりにけり、魔障の致す所にや。又道念ありける僧、世に落ちて妻をかたらひ庵室にこもり居て妻に知られずして持仏堂に入り端座して目出度くをはりけるを妻後に見付てあら口惜し狗留孫仏の時より付そひて取つめる物をにがしけるとてをそろしげなる気色に成て手を打ちて飛びて失せにけり以上。爾前権門の行者さへ是の如し、況や本門寿量文底の行者は別して魔障ある可し、必ず生死を離るる故也。
〔語句解説〕
・抄石集…鎌倉時代の仏教説話集で、僧・無住の書。広く流布して人々が用いていた。
・狗留孫仏…過去七仏(釈尊以前の七人の仏)のうち第四の仏。出世の時期は、四万歳とも五万歳とも六万歳とも言われる。
〔現代語訳〕
一、 臨終の際に心が乱れることについて、三つの理由があること。
二には、魔のはたらきによる。『抄石集』には次のようにある。
「ある山寺の法師が男女の事に堕落して心を通わせた女性と一緒に住んでいたところ、この胞子が病に伏して月日が過ぎていった。この間、この内縁の妻はねんごろに看病などをしていたので、法師は安心して臨終を迎えることができるだろうと思っていた。法師は前から念仏の道心があって、しばしば称名などした者であった。いよいよ最期と思い、端座して合掌し西方に向かい声高らかに念仏を称えたところ、この妻は『自分を捨ててどこに行かれるのですか。なんと悲しいことでしょう』と法師の首にすがりついて引っ張って押さえ付けた。また起き上がって念仏を称えようとしては押さえられることを繰り返して、ついに押さえつけられたまま命終わってしまった。魔が臨終に障りをなしたのであろう。
また、道念のある僧が、男女の事に堕落して庵室に篭っていたところ、妻に知られることなく持仏堂に入り、端座して障りなく臨終を迎えた。その後、妻がそれを見つけて、『ああ、なんとくやしいことか、狗留孫仏の時代から取り憑いて悩ませてきたものを逃してしまった』と言い、恐ろしい表情と姿になって手を打つと、どこかへ飛んでいってしまった。
爾前権門の行者でさえ、このように魔が障りをなすのである。ましてや本門寿量文底の行者には、特に魔の障りがあるであろう。なぜかと言えば、必ず生死流転の苦しみを離れて成仏するからである。
〔御指南を拝して〕
臨終の時に心が乱れる第二の理由として魔の所為・魔による邪魔と示されていました。魔は色々なところへ、色々に形を変えて起こります。魔は幸せになること、ひいては成仏を得ることの邪魔をします。法華経以前の教えですら、魔の所為が起こるのですから、成仏できる妙法蓮華経の大聖人様の教えを信心する我々には、強力な邪の妨害・邪魔が起こることは当然であり、よくよくこの御指南を知って仏道に努めていくことが大事です。
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