令和7年度 節分会 住職法話(令和7年2月2日)

 厄年は、必ず訪れるものです。正しくその意義を知り、忌み嫌わず、その年(歳)を過ごすことが大事です。またこの厄年は、捉え方によれば、我々が成長できる節(歳)です。正しい仏様に、厄を糾して戴くべくお祈りし、厄年こそ成長する節(歳)と努めていきましょう。


《厄 年》(厄年の前年を前厄とし、後年を後厄ととらえる場合もある)

男性…
(一) 25歳(平成13年・2001年)
(二) 42歳(昭和59年・1984年)
(三) 61歳(昭和40年・1965年)
女性…
(一) 19歳(平成19年・2007年)
(二) 33歳(平成5年・1993年)
(三) 37歳(昭和64・平成元年・1989年)
(四) 61歳(昭和40年・1965年)


【日蓮大聖人御指南】(太田左衛門尉御返事1224㌻)

「厄の年災難を払はん秘宝には法華経には過ぎず。たのもしきかな、たのもしきかな」

〔語訳〕

 厄の年(厄年)に災難を払う秘宝とは法華経(南無妙法蓮華経)以外にはない。太田殿がこの秘宝を知り、正しく行うことは誠にもって良いことである。

〔意義〕

 とは、そもそも『木の節』が由来とされる。材木に節があると加工が困難なことが転じて「災いや苦しみが起こる」として、厄の年に正しい仏様(南無妙法蓮華経)に御祈念すれば「禍転じて福と為す」ことができる。


【日蓮大聖人御指南】(日眼女釈迦仏供養事1352㌻)

やくと申すは譬へばさい(賽)にはかど(角)、ます(升)にはすみ(角)、人にはつぎふし(関節)、方には四維の如し


〔語訳〕

 とは、例えば、サイコロの角・升の角・四方角(東西南北)、人で言えば関節のようなものである。つまり厄とは、人生における年齢的・身体的な節目に当たって起こる様々な障害である。


【日蓮正宗では「福は内」との掛け声をする】

お釈迦さまがいらっしゃる時代に、鬼子母神(きしもじん)と言う五百人(※諸説あり)もの鬼の子供を持つ母鬼がいた。この鬼は性格が凶暴で、更には人間の子供をさらっては食べていた。

 ある時、鬼子母神が人の子供をさらい食べていることを聞いたお釈迦様は、その行為を哀れみ、反省し止めさせるために、一つの方便として鬼子母神の子供達を連れ去り隠された。

 我が子がいなくなったことを知った鬼子母神は、四方八方を探したが探し出す事ガデキなかった。その様子をご覧になられたお釈迦様は、「今お前が、我が子が居なくなり寂しく、苦しい心とは、お前が今まで人間の子供をさらい食べてしまったことにより、その子の母親が寂しく、苦しんだ心と同じである。今お前は人間の母親と同じ気持ちを味わったが、その苦しみが解ったであろうか?」と伝え、更に「もし二度と同じ事をしないと誓うのであれば、お前の子供達を帰してやろう」と話された。

 鬼子母神は深く反省し、「二度としない」と誓ったため、お釈迦様は子供を帰されたのである。その後、鬼子母神は二度と人間の子供をさらうことがなくなり、更にお釈迦様に「『南無妙法蓮華経』と唱える人間を守りたい」とお願いし、今では鬼子母神の子・十羅刹女(じゅうらせつにょ)と共に善い神となって、南無妙法蓮華経と唱える人を守っている。

 

 円照寺(日蓮正宗)は常々、「南無妙法蓮華経」とだけ唱えるお寺です。故に鬼子母神のような善い鬼(神)が常々我々を守って下さっていますから、「鬼は外」と言って善い鬼を「どこかに行ってほしい」と願う声掛けは必要が無いのです。


【節分会に当たり心掛けること】

 節分会とは、一年の一つの節目の時に当たり、「この節目を如何に過ごすことが大事か」を確認する時です。即ち、節分会の節目こそ正しい仏様・御本尊様に「南無妙法蓮華経」と唱え、節目を無事に過ごせるように祈ることが大事です。また鬼子母神のような善い神(諸天善神)が我々を守って下さいます。厄に恐れることなく、正しい信仰のもとに生きていきましょう!

~おわり~

日蓮正宗 法寿山円照寺(呉市)

広島県呉市にある、日蓮正宗円照寺です。悩みをお持ちの方、幸せを願う方、先祖を心から供養したい、など、様々なご相談に丁寧にお答えします。