令和7年5月度 御報恩御講 拝読御書

椎地四郎殿御書(しいじしろうどのごしょ)(別名:如渡得船事(にょどとくせんじ))


弘安(こうあん)四(1281)年4月28日   聖寿(しょうじゅ)60歳


法華経の法門を一文一句なりとも人にかた(語)らんは過去の宿縁ふか(深)しとおぼしめすべし。経に云(い)はく「亦(また)正法を聞かず是(か)くの如き人は度(ど)し難(がた)し」云云(うんぬん)。此の文の意(こころ)は正法とは法華経なり。此の経をき(聞)かざる人は度しがたしと云(い)ふ文なり。法師品(ほっしほん)には「若是(にゃくぜ)善男子(ぜんなんし)善女人(ぜんにょにん)乃至(ないし)則(そく)如来使」と説かせ給ひて、僧も俗も尼も女も一句をも人にかた(語)らん人は如来の使ひと見えたり。

(御書 1555㌻7行目〜10行目)


【背景・概要】

 本抄・『椎地四郎殿御書(しいじしろうどのごしょ)』は、弘安4(1281)年4月28日、日蓮大聖人様御年60歳の時、身延(みのぶ)でしたためられ、椎地四郎(しいちしろう)に与えられたお手紙です。別名「如渡得船事(にょどとくせんじ)」とも称されます。

(如渡得船(にょどとくせん)…法華経薬王菩薩本事品第二十三に「渡(わたり)に船を得たるが如く」(法華経535㌻)とあり、法華経の功徳が説かれている。)

 対告衆の椎地四郎(しいちしろう)について詳しくは分かっていませんが、御書を賜っていること、また大聖人様の御葬送(ごそうそう)の際に葬列(そうれつ)の一人に加わっていることから信心篤き檀越(だんのつ)であったと窺い知れます。

 本抄では、末法には法華経の行者が必ず出現すること、また法華経の行者は大難到来を悦びとすることを述べられ、次いで本日拝読の箇所で、妙法を一文一句でも人に語り伝える人、すなわち折伏を行ずる人は仏の使いであると御教示されます。

 更に法華経『薬王菩薩(やくおうぼさつ)本事品(ほんじほん)第二十三』の「如渡得船(にょどとくせん)」(法華経535㌻)の文を引かれ、生死(しょうじ)の大海(たいかい)を渡る妙法蓮華経の船に乗るべき者は日蓮の弟子檀那であると示され、椎地四郎へ一層の信心を促されています。


【語句の解説】

宿縁(しゅくえん)…過去世(宿世)に結んだ因縁のこと。

亦(また)正法(しょうぼう)を〜度(ど)し難(がた)し…法華経『方便品(ほうべんぽん)第二』(法華経112㌻)の文。

若(にゃく)是(ぜ)〜則(そく)如来(にょらい)使(し)…法華経『法師品(ほっしほん)第十』の文。「若(も)し是(こ)の善男子(ぜんなんし)、善女人(ぜんにょにん)、我が滅度の後、能(よ)く竊(ひそか)に一人(いちにん)の為にも、法華経の、乃至一句を説かん。当(まさ)に知るべし、是(こ)の人は則ち如来の使(つかい)なり」(法華経321㌻)とある。

善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)…仏法に帰依した男性・女性のこと。


〔通 釈〕

 法華経の法門を一文一句でも人に語ることは、過去の宿縁が深と思うべきである。法華経方便品(ほうべんぽん)には「正法を聞かない、このような人は済度し難い」と説かれている。この経文の意味は、正法とは法華経であり、この法華経を聞かない人は救うことが難しいという文である。

 法師品(ほっしほん)には「若(にゃく)是(ぜ)善男子(ぜんなんし)善女人(ぜんにょにん)乃至(ないし)則(そく)如来使」と説かれて、僧も俗も、尼も女性も、法華経の一句でも人に語る人は如来の使いであると示されている。


【御妙判を拝して】

 拝読の御妙判では、①法華経の法門を一言でも人に語る、下種・折伏する人は、(語ることができる)過去世からの深い因縁がある。②法華経の法門を聞いても、下種・折伏されても聞かない人は成仏することができない。③法華経の法門を一言でも語る人(僧俗)は、仏様から使わされた人であり、また仏様の代わりをするものである。と示されています。

 ①は、末法時代に生を受けた我々は、本未有善の衆生と言い、過去に仏様に一度も巡り遭ったことがない命ながら、それでも深い因縁があって下種・折伏ができているということは、相手が聞こうが聞かまいが話をする者の罪障は消滅ができると仰せられています。②は、下種・折伏された人が、素直に法を聞かず、また信心しない人は、正しい仏様に巡り遭えず、功徳も戴けないため、罪障を消滅することも、まして成仏もできないと仰せられています。③は、①の下種・折伏をする人は、仏様から使わされた人であり、また本来仏様がなされる弘教を代わりにする人であると示され、必ず成仏得道が得られると仰せられています。

 御法主日如上人猊下は「我々が妙法に巡り値(あ)うということの宿縁深厚(じんこう)なる因縁を、本当に一人ひとりがしっかりと噛みしめていくと、それこそわずか一秒でも無駄にできなくなってくるのです。もっと価値ある人生を送っていかなければならない、広布のために尽くしていく人生を送っていかなければならない、このように思っていただけると思うのです」(功徳要文一五七㌻)と、値い難き仏様に巡り会い、信じ難き信心をしている我々の宿縁深厚の因縁を仰せられ、ならば少しでも広布のために下種・折伏に励むことが大事であると御指南されています。

 大聖人様は「願はくは我を損ずる国主等(ら)をば最初に之を導かん。我を扶(たす)くる弟子等(ら)をば釈尊に之を申さん。我を生める父母等(ら)には未だ死せざる已前に此の大善を進(まい)らせん」(顕仏未来記(けんぶつみらいき)六七八㌻十六行目~六七九㌻二行目)と御教示されています。大聖人様は、折伏しても文句を言ったり、妨害してきする人を最初に折伏すべきであると、悪口等を言う人こそ大事に折伏する大事を仰せられています。次に大聖人様は、一緒に折伏に努める同心の講員が罪障消滅・即身成仏が得られるよう努める大事を仰せられています。最後に縁深き親・家族が未入信ならば信心できるよう折伏する大事。信心していれば、罪障消滅・即身成仏が得られるよう努める大事を仰せられています。ではなぜ、このように努めることが大事なのかと言えば「幸(さいわ)ひなるかな一生の内に無始(むし)の謗法(ほうぼう)を消滅せんことよ、悦(よろ)ばしいかな未だ見聞(けんもん)せざる教主釈尊に侍(つか)へ奉らんことよ」(同)と、我々信心をしている者は、罪障を消滅することが叶い、成仏することが叶うから、それが得られない縁深き人へ下種・折伏する大事を仰せられているのです。

 この折伏という仏道修行をする上で大事なことは何かと言えば、御法主日如上人猊下が「折伏(しゃくぶく)を実践するに当たって大切なことは唱題であります(中略)また、私達(わたくしたち)が折伏(しゃくぶく)をする上において大切なことは何かと言えば、それは御本尊様に対する絶対の信であります(中略)では、強い確信に立つためにはどうすればよいか。それは、まず自らがしっかりと勤行、唱題に励んでいくことであります。御本尊様に真剣に祈り、相手を思う真心と、強い確信が命の底から湧き上がってきた時、その燃えるような一念の慈悲の言葉は、必ず相手の心を揺さぶらずにはおかないのであります」(『大白法(だいびゃくほう)』令和7年4月16日号)と御指南されています。

 そして日如上人は「実はこの折伏はだれにでもできることであります」(同)と結論を御指南されています。

 一文一句でも語る僧俗は仏様の使いであり、必ず罪障消滅が叶います。続けていけば、即身成仏との大願も果たせます。本日の御文を心肝に染めて下種・折伏に励行していきましょう。

以上

日蓮正宗 法寿山円照寺(呉市)

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